手術前には徹底的にシミュレーション「石橋をたたき壊すくらい、慎重です」黒柳洋弥先生

本記事は、株式会社法研が2012年6月26日に発行した「名医が語る最新・最良の治療 大腸がん」より許諾を得て転載しています。
大腸がんの治療に関する最新情報は、「大腸がんを知る」をご参照ください。

臆病なほど慎重であることと、妥協しない、折れない心の強さ。それが患者さんを治す原動力だと思っています。

黒柳洋弥先生

 医師になって25年あまり、腹腔鏡下手術では群を抜いて難しいとされる直腸がんも、腹腔鏡下で行う、大腸がん手術のトップリーダーです。「最近、精神論になってきた」という黒柳先生。ここのところ、とみに思うのは「折れない心」だといいます。「手術中に出合う予期せぬトラブル、難しい状況。そこで、つい妥協しようとする自分に打ち克(か)つ気持ちが大事なんです」。
 医師になりたてのころはそれがわからず、あと一歩のところで妥協してはしっぺ返しをくらうという苦い思い出がありました。「ここをがんばっていたなら、術後の1カ月の苦労はなかったという経験をすると、手術中の30分、1時間の苦労はいとわなくなります」。
 知識や技術の裏づけはもちろん、そこから先を求めるには折れない心が重要。「僕は基本的にチキン(臆病)だから、すぐ折れそうになる」。それを奮い立たせる魔法の言葉だと黒柳先生が教えてくれたのが「心に太陽を、唇に歌を」。「手術中は、妥協しそうになる自分を乗り越えていかなくてはいけない。ムスッと無口では駄目。明るくしないと」という黒柳先生の顔に、無邪気ともいえる笑顔が浮かびます。患者さんも、この表情に出会えばさぞや安心するはず、と思えます。「たとえば、10時間くらいかかる手術もありますが、翌日、患者さんの元気な顔を見て『よかったですね』といって回診できるのはうれしい」。
 黒柳先生の手術を支えるもう一つのキーワードが「神」。これまでたくさんの手術を無事に終えられてきたのは神様のおかげ。神様のご機嫌を損ねないようにしているから。「人間がわかっていることなんて限りがあります。だって、腸を切って、つないだらくっついて、しかも前とほぼ同じように働いてくれるなんて、誰が知っていたと思います? 最初にやった人はえらいですよ。一種の神業。そして、数々のラッキーや偶然が積み重なって、みんな元気になっている」。その偶然やラッキーをものにするのは、やはり怠りない準備であり、努力のようです。「僕はチキンだから、危ないとわかっている橋は渡りません。手術前に徹底的にシミュレーションし、この道が駄目なら、こちらの道をと、二重三重に準備する。石橋をたたき壊すくらい、慎重です」。それに一生懸命励んでいると、手術中「まさに、ここを剥離してくださいといわんばかりのラインが見えるんです」。
 大腸がん手術のポイントとして多くの外科医が異口同音に語るのが「剥離ライン」です。適切な層で剥離をすることが、出血や神経・組織の損傷などを防ぎ、手術そのもののスピードや正確さ、取り残しのないがんの切除などを可能にします。手術成否を左右する鍵ともいえるようです。
 神の教える「剥離ライン」にたどり着くには、実は解剖の知識、手術手技を究(きわ)めること、手術前の丹念な準備など、手術に臨む土台づくりがものをいうのかもしれません。黒柳先生も、日々それらに余念がないからこその境地といえそうです。
 父親も消化器外科医だったそうで、「医者になったのは父の背中を見てきたせいかな」とポツリ。その父との思い出も、大学病院からの呼び出しで家族旅行を途中で引き返したり、家族が寝る前に家に帰ってくることはなかったり、「忙しい、大変」といった記憶しかないといいます。
 「だけど、小さいころの写真を見ると、注射器を描いた絵を持っていたりして…」。
 今では、父と同じく、いや、それ以上に多忙を極める身。3年ほど前から始めたサーフィンが唯一の気分転換です。「サーフィンを始めて、初めて、体に余計な力が入り過ぎることがどんなことか、しかも簡単には力を抜けないことがわかりました。緊張して力が入ってしまう手術中の後輩へのアドバイスが、寛容になったかもしれません」と、日に焼けた顔にまた笑顔が浮かびました。

黒柳洋弥(くろやなぎ・ひろや)先生

黒柳洋弥先生

虎の門病院 消化器外科部長
1962年米国シカゴ生まれ。87年、京都大学医学部卒業後、同大附属病院消化器外科に入局。国立京都病院、米国のマウント・サイナイ病院、がん研有明病院を経て2010年より現職。日本外科学会認定医・専門医・指導医。日本消化器外科学会認定医・専門医、日本内視鏡外科学会技術認定医ほか。

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