「より早期に、確実にがんをみつける方法を開発したい」藤城光弘先生インタビュー

(名医が語る最新・最良の治療 大腸がん 2012年6月26日初版発行)

内視鏡機器や処置具の開発から携わることで、患者さんにはより楽に治療を、そして発見はより早く、確実な診断を目指したい。

藤城光弘先生

 これまでの医師としての経歴に水を向けると「自分のことを話すのは恥ずかしいので…」と視線をそらす藤城先生。40歳代になったばかりと、若手ながら、内視鏡検査・治療を一手に束ねる光学医療診療部を率いる新進気鋭のリーダーです。同部で年間にこなす検査数は、上部消化管約10,000件、下部消化管約6,000件、その他併設されている呼吸器科(気管支鏡)、婦人科、耳鼻科を合わせて、17,000件以上を数えるといいます。
 スタッフも若く、みんな熱心かつ意欲的。また、外科との風通しもよく「何かあれば、すぐに隣の部屋の外科の先生に相談できます。適材適所。信頼しあって、よいチーム医療ができている。そのおかげで、難易度の高い高度医療ということだけでなく、その患者さんに合った医療が提供できていると思います」と、表情に自負がうかがえます。
 目下、大腸がんの内視鏡治療の分野で最も注目を浴びているのはESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)。そのスペシャリストとして呼び声が高いのが藤城先生です。先生がESDに出合ったのは、この技術の先駆けである国立がんセンター中央病院(当時)でのレジデント時代。内視鏡が診断の道具から、治療の道具に大きく動き出した変化のときに立ち合い、それに自ら参加、それは藤城先生にとっては大きな衝撃でした。同時に、真の内視鏡医を目指す自分にとってかけがえのない経験。「僕が内視鏡をやり始めたころは、ESDは産声も上げていなかった。教科書に書いていないことがたくさんおこる世界。内科医であっても、がんを治すことができる。その実感を得ました。診断から治療まで自分の手でできるところが魅力。東大の分院(当時)で胃カメラが開発され、いわば日本の内視鏡発祥の地。世界に誇れるメイドインジャパンの技術というのも、やりがいにつながりました」。
 自らの技術の向上とともに、新しい分野では、使い勝手のよい器具の開発も大きなテーマです。形状、機能、材質。実際に使う者だからこそ、生まれるアイディアがあります。東大がメーカーと共同開発した「フレックスナイフ」の研究には藤城先生も参加しました。「位置や腫瘍のタイプによって、いろいろな種類の器具を使い分けられれば、それだけ、確実で安全な切除が可能になります。選べる道具は多いほうがありがたいわけです」。それが、出血や合併症を防ぎ、患者さんにとって負担の少ない治療につながっていきます。
 多くの患者さんをみてきた藤城先生ですが、その経験から内視鏡医としての腕を磨くには「数より質」と感じるそうです。「一例一例が成長の糧。患者さんを見れば病変を思い出すし、病変を見れば患者さんを思い出す。そのくらい、一例ごとに集中し、吸収できるものを学ぶ。それを次に生かし、さらに新しい発見を重ねていく。漫然と数をこなすだけでは、得られるものは少ないです」。
 大腸がんは比較的おとなしい性格で、治るがんといわれていますが、実際には進行してからみつかる人、亡くなる人も少なくありません。「だからこそ、より早期に、確実にがんをみつける方法を開発したい。それも、できれば患者さんの負担を軽くして」と藤城先生は語ります。「以前より楽になったとはいえ、2Lの洗腸剤を飲み、10数回トイレに通うのは、つらいですよね」。
  「どんなに優秀な医師であっても、100%の診断はありません。ヒダに隠れていたり、前処置が悪かったりしての見落とし。拡大して鮮明に見えるとはいえ、肉眼で確認することの限界はあります。そこで、なんとか、がんを特異的に視覚化できる光や物質がないか、開発できないか」、藤城先生の夢は広がります。「そして、便をどけられる機能や、内視鏡のスリム化でもっと患者さんが楽に受けられるようにしたいですね」。
 内視鏡技術が、治療までカバーできるようになったとはいえ、発見して診断することからスタートするがん診療。藤城先生の飽くなきチャレンジは今後も続きます。

藤城光弘(ふじしろ・みつひろ)先生

藤城光弘先生

東京大学医学部附属病院 光学医療診療部部長・准教授
1970年愛知県生まれ。95年東京大学医学部卒業後、同大医学部附属病院研修医。96年より、日立製作所日立総合病院研修医、国立がんセンター中央病院消化器内科レジデント等を経て2005年、東京大学医学部附属病院消化器内科助手。現職に至る。医学博士。日本内科学会認定内科専門医、日本消化器内視鏡学会指導医、日本消化器病学会指導医。日本消化器内視鏡学会、日本消化器病学会、日本消化管学会、日本胃癌学会、日本食道学会の評議員、代議員。