「切らずに治すという選択肢があることを多くの人に知ってほしい」幡野和男先生インタビュー

本記事は、株式会社法研が2011年7月24日に発行した「名医が語る最新・最良の治療 前立腺がん」より許諾を得て転載しています。
前立腺がんの治療に関する最新情報は、「前立腺がんを知る」をご参照ください。

理想的な線量分布実現のためチャンスを逃さず装置を導入。切らずに治す選択肢も示したい。

幡野和男先生

 幡野先生は母親を乳がんで亡くしています。母親の病気がわかったのは、幡野先生が中学2年生のとき。医師になって母親を助けたいという思いが、医学部進学の強い動機になったそうです。放射線科に進んだ幡野先生は、医師になって1年目、いきなり大きなショックを受けました。
 「がんが全身に転移し、死に直面した患者さんを受けもったのですが、新米なので心臓マッサージすらできない。1週間後に亡くなったのですが、自分の無力さを思い知りました。その悔しさが、医師としての原点になっています。今でも忘れられません」
 当時の放射線科は暗黒時代だったと幡野先生は振り返ります。
 「今はまったく違いますが、当時は放射線科に回ってくる患者さんは末期の方ばかりで、みなさん治ることなく病院の裏口から寂しく運び出されていく。医者は患者さんが元気になって、表玄関から帰っていくのが最大の喜びなのに。もう放射線科は辞めたいと、教授に直訴したこともありました」
 そんな幡野先生の人生を大きく変えたのは、1990年代の後半にアメリカで見た1台の機械でした。IMRTの原型となる放射線治療装置が、学会でデモンストレーションをしていたのです。

幡野先生の人生を大きく変えたアメリカで見た1台の機械とは
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幡野和男(はたの・かずお)先生

幡野和男先生

東京ベイ先端医療・幕張クリニック院長
1956年山梨県生まれ。日本大学医学部卒。国立病院医療センター、榛原総合病院放射線科医長、米国ペンシルバニア・ハーネマン医科大学放射線腫瘍科フェロー、千葉大学医学部講師を経て、94年から千葉県がんセンター放射線治療部部長。2000年IMRT国内第1例を手がける。13年12月より東京ベイ先端医療・幕張クリニック院長に就任。