「前立腺がんの手術に伴う尿失禁」に対する治療とは

2024.2 取材・文:がん+編集部

前立腺がんの手術を受けた患者さんにおいて、根治性とともに重要になるのが治療後の生活の質(QOL)です。転移のない前立腺がんに対して、前立腺全摘除術は有効な治療法の1つですが、術直後には70%程度の患者さんで尿失禁が認められます。時間とともに尿失禁は改善し、約90%の患者さんでは尿禁制が得られますが、一部の患者さんでは尿失禁が残存し、QOLの低下が世界的にも問題となっています。そうした尿失禁に対する治療に関して、国立がん研究センター東病院 泌尿器・後腹膜腫瘍科長の増田 均先生に解説いただきました。

前立腺がんの根治性とQOLを保つ治療とは

転移のない限局性前立腺がんに対する一次治療として、監視療法、前立腺全摘除術、放射線治療などの選択肢があります。限局性と聞くと悪性度が低いイメージがあるかも知れませんが、悪性度の低いもの(超低リスク)から、悪性度の高いもの(高リスク)までさまざまです。そうした中で、前立腺全摘除術と放射線治療のどちらが優れているかということは一概には言えず、患者さんの年齢、病態、希望などを考慮して治療選択が行われます。

一例として、前立腺がんに伴う前立腺肥大が原因で排尿障害が起きている場合、放射線治療では(前立腺が残るため)排尿障害が治ることはない一方で、前立腺全摘除術では排尿障害も治すことができます。

前立腺全摘除術に伴う尿失禁とは

前立腺全摘除術の手術方法として、「開腹手術」「腹腔鏡下手術」「ロボット支援下手術」の3つが挙げられます。この中で現在は、ロボット支援下手術が標準的に行われるようになってきています。

前立腺全摘除術では、手術後に尿失禁が起こることがあります。前立腺は、膀胱のすぐ下で尿道を取り巻くように存在する臓器で、前立腺のすぐ下には、尿道を開閉するための外尿道括約筋があります。前立腺全摘除術では、前立腺と精のうを摘出し膀胱と尿道をつなぎ合わせますが、その際に外尿道括約筋が傷付くと、尿失禁が起こります。これは約70%の患者さんで起こっていることですが、ほとんどの方は手術後1~6か月程度で回復します。6か月以降も緩やかに改善しますが、12か月以降はあまり改善しません(個人差はあります)。外尿道括約筋の機能回復が不充分で、尿失禁が改善しない方がおられます。12か月後でも、1日400cc以上の失禁の場合は、重症失禁と考えられます。1日100cc未満を軽症、100~400cc未満を中等症と考えられています。

前立腺全摘除術
前立腺全摘除術
※切除範囲は赤点線部分

「前立腺全摘除術に伴う重症尿失禁」に対する治療とは

前立腺全摘除術による尿失禁の治療は、外尿道括約筋機能のリハビリを目的とした骨盤底筋体操が基本で、手術前から行うほうが有効と報告されています。しかし、重症尿失禁では、有効性が低く、人工尿道括約筋埋込術を考慮する必要があります。

上記手術は、重症尿失禁に対する治療として2012年から保険適用となりました。治療の対象となるのは前立腺全摘除術後の尿失禁で、骨盤底筋体操や薬剤で、改善が見込めない場合です。年間約2万件の前立腺全摘除術施行例のうち、2~3%の患者さんで重症尿失禁がみられており、日本では毎年200~300人程度の患者さんが本手術を受けています。

外尿道括約筋の代わりに患者さん自身で排尿をコントロールするための器具を体の中に埋め込む治療です。埋め込む器具は、「カフ」「コントロールポンプ」「バルーン」と、それぞれをつなぐチューブです。

カフは、生理食塩水が入った器具で、尿道の周りに巻くように入れることで尿道を圧迫し、尿失禁を防ぎます。カフには、コントロールポンプとバルーンが、チューブを介してつながっています。コントロールポンプは、陰のうに埋め込まれており、ポンプをつまむように数回押すと、カフ内の生理食塩水がバルーンに移動します。これによりカフの圧力が弱まり、腹圧で尿を排出することができます。その後、3分程度で生理食塩水はバルーンからカフに戻り、再び尿道を圧迫することで、尿失禁を防ぎます。

器具は、合成樹脂でできており体内に埋め込んでも拒絶反応などは起こりません。器具が故障した場合は、入れ替えることができます。一方で、感染症を起こすことがあります。感染症が起こった場合は、器具を取り出し感染症に対する治療を行います。感染症が治れば、再度器具を入れなおすこともできますが、感染症が繰り返し起こり、再埋め込みが困難な場合もあります。

人工尿道括約筋埋植込術(4~5日の入院)の6~8週間後に、1泊2日の教育入院で、器具の使い方を習得してもらいます。時間をあけるのは、手術に伴う尿道のむくみが引くのを待つためです。すぐに使い始めると尿道の血流が悪くなる可能性があります。

人工尿道括約筋埋植込術を行った患者さんの5割程度は、尿が全く漏れなくなり、残りの5割程度の患者さんでも、尿パッドが1日1枚程度で済む程度までの改善が見込めます。

人工尿道括約筋埋植込術
人工尿道括約筋埋植込術01
「カフ」「コントロールポンプ」「バルーン」それぞれがチューブでつながっている
人工尿道括約筋埋植込術02
コントロールポンプを3回程度つまむと、生理食塩水が、カフからバルーンへ移動し排尿可能に

人工尿道括約筋埋植込術03
バルーンに送られた生理食塩水は、3分程度で自然にカフに戻る

軽~中等症の尿失禁を克服する再生医療とは

ロボット支援下手術の増加に伴い、重症尿失禁(1日400cc以上)の患者さんが減少している一方で、軽~中等症の患者さんが増えています。重症尿失禁に対しては、人工尿道括約筋埋込術が、保険適用で受けられるようになっていますが、軽~中等症の尿失禁に対する有効な治療は、確立されていません。こうした患者さんに対しては、これまでコラーゲンや自己皮下脂肪組織を尿道括約筋付近に内視鏡を用いて注入することで、尿道を狭くする治療が行われることがありました。しかし、注入したコラーゲンや脂肪組織は自然に吸収されてしまうため、治療効果が短期間で失われてしまうことが課題となっていました。

国立がん研究センター東病院では、「前立腺全摘除術後腹圧性尿失禁に対する自己脂肪組織由来幹細胞投与による尿禁制の安全性と有効性に関する研究」という第1相臨床試験を2022年に開始し、実施しています。

今回行っている臨床試験では、患者さんの皮下脂肪組織から取り出した脂肪幹細胞を細胞加工施設で培養し、増やします。この培養という操作により、患者さんから採取する脂肪組織が少量で済み、体型に関係なく多くの脂肪幹細胞が得られるところがポイントです。

培養して脂肪幹細胞が十分な数に増えたら、その足場となる脂肪細胞と混ぜてから、外尿道括約筋部に内視鏡下で注入します。この注入は、尿道壁の膨らみ方を観察しながら慎重に行われます。注入後は1年間、定期的な排尿日誌、問診表、24時間バッドテストなどが実施され、これにより安全性と有効性の評価が行われます。

余談ですが、脂肪幹細胞は、さまざまな細胞に分化する能力を保持している注目の細胞で、今回の臨床研究だけでなく、整形外科での変形性関節症、乳がん術後の乳房再建、消化器内科での肝硬変治療など、さまざまな領域で再生医療の研究が行われています。

臨床試験の流れ

1:
国立がん研究センター東病院で、局所麻酔下で左下腹部または臀部から約10~15ccの脂肪を吸引
2:
採取した脂肪を細胞培養加工施設に運び、同施設で脂肪組織幹細胞の分離・培養・品質チェック
3:
一定数まで増えた脂肪幹細胞を超低温で国立がん研究センター東病院に輸送
4:
国立がん研究センター東病院で、右下腹部または臀部より10~15ccの脂肪を採取し、脂肪幹細胞と混和して外尿道括約筋近傍に内視鏡下で注入(尿道壁の膨らみ方を観察しながら、数か所に分けて注入)
5:
注入後1年間、排尿日誌、問診票、24時間パッドテストで定期的に評価

転移や再発リスクが高くない前立腺がんは、手術や放射線治療で治癒できる可能性が高いがんですが、根治性とともにQOLの維持や改善も重要です。軽~中等症の尿失禁に対する治療法の開発や、重症尿失禁に対する人工尿道括約筋埋植込術など、QOLを改善する治療法があることを知っておいて頂ければと思います。

プロフィール
増田均(ますだ ひとし)

1989年:東京医科歯科大学医学部卒業
2000年:米国ピッツバーグ大学留学(排尿機能、特に尿道機能の研究に従事)
2011年:東京医科歯科大学泌尿器科准教授
2012年:がん研有明病院泌尿器科副部長
2017年:国立がん研究センター東病院泌尿器・後腹膜腫瘍科科長