がん細胞分泌タンパク質「ネトリン」が「がん悪液質」に関わるメカニズムを発見

2023/06/01

文:がん+編集部

 がん細胞が分泌する「ネトリン」というタンパク質が、がん悪液質に関わっていることが明らかになりました。がん悪液質による全身症状を治療するための新たな治療標的となる可能性があります。

ネトリン、がんが引き起こす全身症状を治療するための新たな標的の可能性

 理化学研究所は2023年5月16日、がん悪液質に関わるがん細胞が分泌するタンパク質を発見したことを発表しました。同研究所生命機能科学研究センター動的恒常性研究チームの岡田守弘 研究員、ユ・サガンチームリーダーらの研究グループによるものです。

 がん悪液質と呼ばれる筋肉や脂肪の減少といった全身症状は、進行がん患者さんの80%以上に認められ、予後に悪影響を及ぼしますが、がん悪液質を完治し、生存率を大幅に改善した報告はこれまでありません。がん悪液質は、生理的な異常が複雑に絡み合う全身性の代謝障害のため、個体を使った解析が必須であるにもかかわらず、その解析が困難なため、研究が遅れています。

 研究グループは、ショウジョウバエをモデルに、どのような仕組みでがんが全身に悪影響を及ぼし個体の死が誘導されるのかを調べるために、幼虫の将来眼になる組織に、ショウジョウバエの変異型Ras遺伝子を発現させ、ショウジョウバエがんモデルを作製。幼虫の将来眼になる組織に生じたがん細胞は、転移や大量増殖はしなかったものの、がんを誘導して数日以内に80%以上の個体が死亡しました。

 このことから、「がん細胞そのものではなく、がん細胞から分泌された因子が全身に悪影響を与えている」という仮説を立て、網羅的な遺伝子発現解析を実施。その結果、がん細胞で発現が上昇する20種類の分泌因子を特定しました。次に、分泌因子の生理的な機能を理解するために、がん細胞で分泌因子の遺伝子発現を阻害し、生体の生存率への影響を調べた結果、「ネトリン」の発現をがん細胞で抑制すると、がん細胞自体の増殖には影響がないにもかかわらず、個体の生存率が著しく上昇することを発見。がん細胞から体液中に分泌されたネトリンは、代謝恒常性に必要不可欠な組織である脂肪体に作用し、ネトリン受容体であるUnc-5タンパク質に結合することが明らかになりました。

 さらに、がん細胞で生成されたネトリンは、がん細胞から離れた脂肪体組織においてカルニチンという物質の産生を抑制し、個体全体でのカルニチン量を低下させていることが判明。カルニチンは細胞内の脂肪酸をエネルギーに変える脂肪酸代謝に必須なため、カルニチン量の低下がエネルギー不足を引き起こし、個体を死に至らせることが示されました。

 最後に、ネトリンによって引き起こされる全身症状を改善することで、個体の生存率が改善できないかを調べた結果、がん細胞から離れた脂肪体組織のネトリン受容体やその下流のシグナルを抑制すると、がん細胞自体には影響はありませんでしたが、カルニチン量が上昇し個体の生存率が著しく上昇しました。また、がんを発症した個体に不足しているカルニチンや、カルニチンの働きで作られる「アセチルCoA」を投与すると、生存率が回復できることも分かりました。

 研究グループは今後の期待として、次のように述べています。

 「本研究成果の最大の意義は、神経軸索の誘引因子としての機能が広く知られてきたネトリンが、離れた臓器同士を連関させる液性シグナルとして機能し、がん悪液質に関与することの発見です。ヒトの場合でもがん患者には、血液や尿におけるネトリン量の上昇と、血液で検出されるカルニチン量の低下が認められます。この二つはこれまで一見無関係な現象と考えられてきましたが、本研究のショウジョウバエがんモデルは、がん患者のがん悪液質の生理状態を反映したモデルになる可能性があります。ネトリンを標的としたがん治療について、今後の検証が待たれます。さらに本研究では、がん細胞自体を変化させなくても、がん細胞から離れた組織の代謝状態を変化させるだけで、個体の死を回避させられることが示されました。この成果は、たとえがんが存在したとしても、全身症状のコントロールにより生存率の改善を目指せる可能性があることを示しています」