前立腺がんの「開腹手術」治療の進め方は?治療後の経過は?

監修者荒井陽一(あらい・よういち)先生
東北大学病院 泌尿器科教授
1953年山形県生まれ。京都大学医学部卒。公立豊岡病院泌尿器科医長、京都大学医学部附属病院泌尿器科講師、倉敷中央病院泌尿器科主任部長を経て、2001年東北大学大学院医学系研究科・泌尿器科学分野教授。2003年東北大学病院長特別補佐、2004年東北大学病院副病院長。

本記事は、株式会社法研が2011年7月24日に発行した「名医が語る最新・最良の治療 前立腺がん」より許諾を得て転載しています。
前立腺がんの治療に関する最新情報は、「前立腺がんを知る」をご参照ください。

下腹部を切開して前立腺を切除する

 下腹部を切開し、前立腺をすべて切除する治療法(前立腺全摘除術)です。30年以上の歴史があるポピュラーなもので、確実な効果が見込めます。

長く行われているオーソドックスな治療法

前立腺全摘除手術・手術法の特徴

 前立腺がんの手術には、開腹手術のほかに、腹腔鏡(ふくくうきょう)を使ったり、ロボットを使ったりする手術法があります。いずれも開腹手術を基本として発展したもので、原点は開腹手術にあります。
 前立腺がんの手術では、前立腺をすべて切り取る前立腺全摘除術を行います。現在の検査機器では、前立腺のどの部分にがんがあるのか正確にわからないため、すべて取り去るしかないからです。腹腔鏡やロボットを使った手術の場合も、すべて前立腺全摘除術となります。
 開腹手術には、おなかを切る傷口を小さくしたミニマム創内視鏡下手術という手技もあり、ここでは15cmほど切開する従来の手術法とミニマム創内視鏡下手術の両方を解説します。
 私が泌尿器科の医師として診療を始めたのは1970年代の後半ですが、当時日本では前立腺がんの手術はほとんど行われていませんでした。前立腺がんの治療といえば、事実上、ホルモン療法のみでした。
 1980年代の初頭になり、米国ジョンズ・ホプキンス大学のウォルシュ教授によって、前立腺がんの新しい手術方式が開発されました。私は幸運にもウォルシュ教授の手術を直接勉強する機会を得、本格的に前立腺がんの手術を始めました。この時期が日本での前立腺がんの手術のあけぼのであり、その後、細かな改良や工夫はなされていますが、この基本的な術式はいまもそのまま継承されています。

局所進行がんまでが適応、転移がんは適応にならない

手術を受けられるがんの状態

 手術をする、しないは、患者さんの状況と病気の状況を考え合わせて決めています。
 患者さんの状況としては、年齢、ライフスタイル、合併症、社会的な背景などを考慮します。
 手術に年齢制限はありませんが、80歳を超える患者さんに勧めることは原則としてありません。ただし、患者さんが希望すれば手術をすることはあります。実際、私の患者さんのなかには、80歳を超えて手術を受け、その後、元気に海外旅行に出かけている人もいます。
 病気の状況としては、限局がんがいちばんの適応となります。進行がんでも広がりが前立腺被膜外までの局所進行がんは、手術が可能な場合もあります。ただし、手術後にPSA値の経過をみて、補助療法(放射線療法かホルモン療法)が必要になることがあります。転移のある進行がんの場合、手術療法は適していません。
 リスク分類でいうと、低リスクが手術のいちばんの適応です。中リスク、高リスクの場合は、患者さんの状況なども考え合わせて対応することになります。
 開腹手術のメリットは、ほかの治療法に比べて歴史があり、たくさんのデータから、安全性が高く確実な治療効果を見込めることです。また、おこりうる有害事象もあらかじめわかっています。放射線療法の場合は、治療後数年を経てからみられる有害事象もあるため、まだ長期的な成績がわからないこともあります。
 前立腺がんにはさまざまな治療法がありますが、限られた施設でしか受けられないものもあります。しかし、開腹手術は前立腺がんを扱う泌尿器科医なら、誰でも手がけることのできるオーソドックスな治療法であることも、大きなメリットといえるでしょう。

治療の進め方は?

 血流の多い場所なので、自己血輸血を準備。
 下腹部を15cmほど切開する手術法と、6~9cm切開して内視鏡を用いる手術法があります。

前立腺をすべて取り去る手術で入院は2週間程度

入院から退院まで

手術の手順

 前立腺がんの開腹手術を受ける場合、2週間程度の入院が必要です。手術時間は3~5時間で、麻酔の導入から麻酔が醒(さ)めるまでを含めると、5~6時間となります。麻酔は全身麻酔と硬膜外麻酔(下半身麻酔)を併用します。硬膜外麻酔は術後の痛みをやわらげるためにも使います。
 前立腺がんの手術では、ある程度の出血が避けられません。前立腺の周囲は血流の多い場所で、血管をまったく傷つけずに前立腺を切り取ることはできないからです。
 そこで、希釈式自己血輸血法によって、輸血を行います。これは手術直前に患者さん自身の血液を採取して、血液量が減った分を輸液の点滴で補い、手術終了後に、採取した自己血を元に戻す方法です。手術中は血液が薄まった状態になるため、出血の影響もその分抑えることができます。たいていの場合はこれで対応できますが、血液製剤での輸血が必要になることもあります。
 手術では下腹部を15cm程度、縦に切開します。鼠径(そけい)ヘルニア(脱腸)防止措置をしたあと、リンパ節を郭清(かくせい)します(すべて取り除きます)。転移の可能性の高い骨盤内のリンパ節を切り取るわけです。ただし、諸検査の結果からリンパ節転移の可能性がきわめて低いと考えられる場合は、省略することもあります。
 次に前立腺を切り取って、残った膀胱(ぼうこう)と尿道をつなぎ合わせます。前立腺の両側には勃起(ぼっき)機能に関連する神経が走っているため、これを傷つけないように注意して手術をします。東北大学病院では、勃起神経の温存率が約95%で、これは全国トップクラスの数字です。
 ただし、状況によっては、勃起神経の温存が難しいこともあります。実は勃起神経のある領域は、がんができやすい部位でもあるのです。がんが勃起神経の近くにあり、浸潤(しんじゅん)が疑われる場合は、勃起神経を含む広い範囲での切除が必要になります。
 前立腺の摘出が終わったら、尿道に管(カテーテル)を留置して、腹部の切開部分を縫い合わせます。出血やリンパ液などを体外に排出するための管(ドレーン)も留置します。
 手術の翌日から、食事や歩行を開始します。手術後5~7日目に尿道の管を抜き、スムースに排尿できるかを調べます。手術後7日目に縫い合わせた腹部の糸を抜糸します。入院から約2週間で退院となります。

小さく切開、内視鏡を用いる手術法が主体に

開腹手術の方法

 一般に開腹手術では下腹部を15cm程度、縦に切開しますが、傷口を小さくする工夫をしたミニマム創内視鏡下手術も普及しています。ミニマム創内視鏡下手術の場合は、下腹部を縦に6~9cm切開します。切開する傷口が小さくてすむため、傷口の痛みが小さく、回復もそれだけ早くなります。
 基本的な手術の流れは従来の開腹手術と同じですが、内視鏡で手術部分を拡大し、モニターを見ながら手術を進めていくので、より精密な手術ができるといえるでしょう。また、万一のときには、下腹部の傷口を広げるだけで、ただちに通常の開腹手術に移行できるので、安全性も高い方法です。東北大学病院泌尿器科では、前立腺がんの前立腺全摘除術の場合、主にこのミニマム創内視鏡下手術を用いています。

ミニマム創内視鏡下手術とは

ミニマム創内視鏡下手術とは

 前立腺がんのミニマム創内視鏡下手術(ミニマム創内視鏡下前立腺全摘除術)は、開腹手術と腹腔鏡手術のメリットをあわせもった治療法です。東京医科歯科大学泌尿器科の木原和徳教授が開発した手術法で、東北大学病院泌尿器科でも取り入れています。前立腺がんの手術に使う場合は、2008年から健康保険も適用されています。
 前立腺全摘除という手術の基本的な部分は従来の開腹手術と同じですが、傷口は6~9cmですみます。これは切除した前立腺を取り出すのに必要な最小限の大きさに当たります。
 医師は内視鏡を通したモニターで拡大して手術部位を見つつ、肉眼でも確認しながら手術を進めることができ、腹腔鏡手術よりも医師にとって取り組みやすい方法です。多くの場合、輸血をせずに手術を終えることができます。
 おなかには手術器具のみで手を入れないため、清潔を保ちやすく、腹腔鏡手術のように炭酸ガスでおなかをふくらませることもないので、そのための合併症の心配もありません。過去に開腹手術を受けたことのある人にも使える治療法で、手術時間は3~4時間程度です。

手術室のセッティングと手術の流れ

治療後の経過は?

 治療成績は非常にすぐれています。
 リスクは術中に出血しやすいことと、術後に尿失禁、性機能障害をおこす可能性があることです。

根治率は90%以上、尿失禁がおこりやすい

●治療成績

前立腺全摘除術の根治率は高い

 手術療法の治療成績は、非常にすぐれています。東北大学病院では、限局がんの場合、手術による根治率(PSA非再発生存率)は90%以上です(術後約1年までの場合)。リスク分類別では、低リスクの根治率が高く、次に中リスク、高リスクの順となります。
 治療には健康保険が適用されます。入院費を含めて約100万円程度で、健康保険3割負担の人の場合は、30数万円の自己負担になります。

●尿失禁

 手術でおこりやすい合併症の一つが尿失禁(尿もれ)です。尿失禁は自分の意思とは関係なく、オシッコがもれてしまうことをいいます。前立腺全摘除術を受けると、ほとんどの場合で尿失禁がみられますが、1~6カ月で生活に支障がない程度に回復します。
 尿失禁がみられる場合は、尿失禁に対応したパッドを使います。手術からの時間経過とともにパッドが必要となる人の割合は減っていきます。術後3カ月で60~70%、6カ月で約80%、1年で約90%の人がパッド不要となります。
 重い尿失禁が続く場合、改めて人工尿道括約筋(かつやくきん)埋め込み手術をすると、もれる心配はなくなり、QOL(生活の質)は大きく改善します。
 また、膀胱と尿道のつながり方がうまくいかず、尿がもれることがあります。この場合は、縫合した部分の粘膜が再生してうまくつながるまで、排尿のためのカテーテル留置を数日間延長して対応します。
 一方、これは合併症ではなく手術の副次的な効果ですが、前立腺全摘除術を行うと、前立腺肥大症に伴う頻尿や排尿困難といった症状が、すっきりと治ることがあります。20代のころのように、勢いよくオシッコが出るようになります。

尿失禁は手術後におこりやすい合併症

●性機能障害(勃起障害=ED)

 手術直後はほとんどの場合、性機能障害がおこります。その後、時間の経過とともにゆるやかに回復していきますが、どの程度まで回復するかは、神経温存の程度、年齢、術前の勃起の状態などによって個人差があります。両側の神経が温存できた場合は、性機能の回復も良好となります。
 神経が温存されている場合は、ED治療薬を服用することで、勃起機能の改善を促進することが可能です。東北大学病院泌尿器科では、前立腺全摘除術後の患者さんに対して、医師の側から働きかけて、ED治療薬の服用を積極的に勧めています。患者さんからは相談しにくいようですが、医師の側からもちかけると、ほとんどの人が服用を希望されます。
 なお、前立腺全摘除術を受けると、射精の感覚は残りますが、精液は出なくなります。また、射精の感覚と同時に軽い尿もれがみられることもあります。

勃起障害の開腹には神経の温存が影響する

●その他の合併症

開腹手術の基本情報

 手術後の合併症では尿失禁が多いのですが、逆に尿が出にくくなること(排尿困難)もあります。排尿のためのカテーテルを抜いた直後におこる場合は、炎症によるものが多く、カテーテルを再留置して炎症がおさまるのを待ちます。
 術後数カ月して排尿困難となる場合は、膀胱と尿道をつないだ部分が狭くなっていると考えられるので、尿道を拡張する措置をとります。
 前立腺のすぐうしろに直腸があるため、がんの広がりなどによっては、ごくまれに直腸を傷つけてしまうことがあります。その場合は修復術をしますが、一時的に人工肛門(こうもん)になったり、絶食が必要になったりすることがあります。
 手術では鼠径ヘルニアの防止措置をしますが、それでも鼠径ヘルニアになってしまった場合には後日、ヘルニア修復術を行います。
 まれに下肢にできた血栓が肺に流れて肺の血管に詰まる肺塞栓(そくせん)がおこります。このほか、リンパ節郭清後の陰部浮腫(ふしゅ)、リンパのう腫などもみられます。
 出血、感染、痛みなど、どんな手術療法でもみられる合併症もあり、それぞれに対応していきます。

退院後もPSA検診を続け、再発の有無をチェックする

再発した場合は

 手術で摘出した前立腺は病理医が顕微鏡で観察して、がんの広がり具合を調べます。結果が出るまでに1、2カ月かかります。
 前立腺全摘除術を受けたあとは、PSA値は測定限界以下(0.1以下)にまで低下します。定期的にPSA値を測り、再発の有無を調べる必要があります。PSA値が0.2を超えた場合は、PSA再発(生化学的再発)と考えます。
 PSA再発となった場合は、術後の病理検査の結果、年齢、PSA再発の時期、PSA値上昇のスピードなどを考慮し、放射線療法、あるいはホルモン療法をするか、経過観察にとどめるかを検討することになります。

重度の尿失禁には人工尿道括約筋が役立つ

人工尿道括約筋

 前立腺がんの手術後に、重度の尿失禁となった場合は、人工尿道括約筋の埋め込み手術をすると、尿失禁の悩みから解放されます。人工尿道括約筋は、尿道をリング状の器具(カフ)で閉め、陰のうのなかに埋め込んだコントロールボタンを押すと、カフがゆるんで尿が出るしくみの器具です。一定の時間(約3分)がたつと、自動的にカフが閉まります。
 人工尿道括約筋の埋め込み手術は、手術そのものは自己負担で約150万円かかりますが、先進医療として認められているので(2011年4月現在)、検査や入院費などには健康保険が使えます。
 尿もれパッドやおむつを毎日交換することを考えると、必ずしも高額とはいえず、何よりQOL(生活の質)は大きく向上します。
 なお、なんらかの病気や事故で救急病院に運ばれた際に、尿道が人工的にふさがっている状態であることを救急の医師に伝える必要があります。救急現場では、しばしば尿道にカテーテルを入れるのですが、人工尿道括約筋で尿道が閉まった状態だと、カテーテルがうまく入らないのです。コントロールボタンを押してカフを広げれば、問題ありません。
 こうした注意点を書いた携帯用の小冊子が用意されています。患者さんが海外旅行に出かけることも想定して、5カ国語に対応しています。

人工尿道括約筋