信念は「すべての患者さんを自分の家族だと思って治療すること」内田豊昭先生インタビュー

本記事は、株式会社法研が2011年7月24日に発行した「名医が語る最新・最良の治療 前立腺がん」より許諾を得て転載しています。
前立腺がんの治療に関する最新情報は、「前立腺がんを知る」をご参照ください。

患者さんを家族だと思って治療します。自分の家族だから、ベストの治療を勧めるのです。

内田豊昭先生

 内田先生がHIFUと出合ったのは、1992年のことでした。アメリカのメーカーから誘われて、見学に現地へと足を運んだのです。そのときは前立腺肥大症の治療に使う機器として紹介され、内田先生も翌年から日本で前立腺肥大症の治療に使い始めました。
 「約7年間、前立腺肥大症の治療にHIFUを使いました。その間、前立腺肥大症の治療には健康保険も適用されたのですが(注・前立腺がん治療には健康保険は適用されていない)、治療成績にもう一つ納得がいかず、中止しました」
 ただし、内田先生にはこのとき、あるアイディアがありました。世界で初めてHIFUを前立腺がんの治療に使うことにしたのです。1999年のことでした。
 「前立腺肥大症の治療には100℃以上で焼いて、焼いた部分に空洞をつくることが必要ですが、がんは65℃で2、3秒焼くと死滅します。原理的にいってHIFUは前立腺がんの治療に使えるのではないか? 最初に治療した患者さんは、非常にうまくいったので、これはいけるぞ、と思いましたね」
 ただし、このとき、治療には9時間もかかっていました。前立腺肥大症の治療では、超音波を照射する部分は前立腺のごく一部で、治療時間も15分程度です。ところが、前立腺がんの場合は、原則として前立腺全体をまんべんなく焼く必要があるため、時間がかかります。アメリカでもこの治療時間の長さがネックになって、前立腺がんの治療にHIFUを使おうとしなかったのです。

内田先生が世界で初めて前立腺がんの治療に使ったHIFUとは
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内田豊昭(うちだ・とよあき)先生

内田豊昭先生

東海大学医学部付属八王子病院 泌尿器科教授
1950年北海道生まれ。北里大学医学部卒。同大泌尿器科講師、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校留学、北里大学医学部泌尿器科助教授、東海大学医学部泌尿器科助教授を経て、2006年から現職。世界に先駆けHIFUによる前立腺がんの治療を手がけた。