診察室のコミュニケーションを考える『KATARU プロジェクト』オンラインフォーラム 「“わたしが望む医療”のための診察室コミュニケーション ー前立腺がん治療編ー」

医療の現場における円滑なコミュニケーションが患者さんの満足度に影響を与えることが、近年明らかになっています*。しかし、医師と患者さんの視点の違いから、コミュニケーションがうまくいかないケースも見られます。
*参考:山内一信,真野俊樹,塚原康博,藤澤弘美子,野林晴彦,藤原尚也:医療消費者と医師とのコミュニケーション−意識調査からみた患者満足度に関する分析−. 医薬産業政策研究所リサーチペーパーシリーズNo.29 (2005年7月).

そこで、ヤンセンファーマ株式会社では、患者さんに向けて、医師との対話を深めるコミュニケーションのとり方や、患者さんの治療満足度を向上させるための情報発信を目的としたプロジェクト『KATARU(カタル) プロジェクト』を発足しました。

2020年12月5日(土)に第1回目のフォーラムが「前立腺がん治療」をテーマに開催されました。前立腺がんは比較的進行がゆっくりであるため、主治医との関係が長期に渡ります。前立腺がん治療の特徴や特有の課題を踏まえ、患者さんと医師とのコミュニケーションを円滑にするための方法について、様々な分野の専門家の視点からお話を伺いました。

講演①「患者と医者のコミュニケーション・ギャップを読み解く-行動経済学の視点から-」

東北学院大学経済学部 准教授 佐々木 周作先生

行動経済学は、人間の意思決定や選択の特徴・性質(以下、特性)を明らかにするとともに、一見不合理な特性を持つ現実的な人間像を前提に社会や経済の問題を分析する学問です。「一見不合理な特性」とは、例えば、禁煙やダイエットのように、やるべきだと頭でわかっていることをなかなか実行に移せないといったものです。行動経済学が医療に貢献できることは、患者さんや医師の一見不合理な意思決定の特性にはどんなパターンがあるのか、なぜそのような選択をするのか、について系統立った説明を提供できる点にあります。また、患者さんと医師の意思決定の特性を踏まえて、両者のすれ違いを解決するためのコミュニケーションの工夫についても提案できると考えています。

行動経済学の中に「時間割引」という、将来よりも現在の利益を重視する方向に好みが偏ってしまう特性があります。例えば、「今日なら1万円貰えるが、1週間待てば1万100円受け取れる場合、どちらを選びますか?」という質問をされると、1週間後の1万100円が今日の1万円よりも小さく感じられ、誘惑に負けて今日の1万円を選んでしまいがちになるのです()。この時間割引の傾向は、医師よりも患者さんに強くみられることが知られており、その差が、医療の現場で「医師が最も妥当だと考える治療法であっても、患者さんがその方法を選択しない」という状況を生み、患者さんと医師のすれ違いにつながっている可能性があります。

このようなすれ違いを解消するために、患者さんは、最適な選択を自力で実行しづらい傾向が自分にあることを自覚して医師の説明を聞くこと、医師は、患者さんが自力ではなかなか最適な選択を実行しきれないという点を配慮して、患者さんの背中を押してあげるような情報提供の工夫を取り入れることが重要です。

講演②「上手な医療のかかり方-患者の心構えとは」

認定NPO法人 ささえあい医療人権センターCOML 理事長 山口 育子さん

COML(コムル)では「賢い患者になりましょう」というコンセプトを掲げ、患者さんが「いのちの主人公」であり、「からだの責任者」なのだという自覚を持って、主体的に医療に参加できるようになることを目指して1990年から活動しています。
時代の変化とともに、患者に求められる意識の在り方も変化しています。慢性疾患が増えている現在では、医療者とともに患者さんも医療のあり方や自分の病気のためにできることを考え、治療を自ら選択する意識が必要とされています。
私たちは、①病気の自覚、②自分の受けたい医療を考える、③思いの言語化、④協働して治療をおこなう(コミュニケーション)、⑤一人で悩まない、という5つの行動ができることを賢い患者として定義しています。
また、医療者との「協働」ができる賢い患者を目指すために大切な事項を、「新 医者にかかる10箇条」()としてまとめました。コミュニケーションの参考にしてみてください。

もしうまくコミュニケーションできないと感じたら、質問の仕方や言葉の選び方を見直してみましょう。なるべく語彙数を増やして思いを言葉にできるようにする、質問と確認を習慣づける、聞きたいことをうまく引き出せる工夫をする、前向きなことを伝える「ポジティブフィードバック」を心がける、といった点をふだんから意識するとよいでしょう。

講演③「前立腺がん治療における共同意思決定」

横浜市立大学附属市民総合医療センター 泌尿器・腎移植科 診療教授 上村 博司先生

前立腺がん治療は、治療期間が長期にわたるため、病状に応じて手術や化学療法など、治療の変更を検討する場面が何度か訪れます。
前立腺がんの治療法は大きく二つに分けられます(図1)。図1の左側は根治的な治療で、手術や放射線治療があります。その時に、治療後の尿失禁、勃起障害、血尿といった症状の可能性は予めお話ししておかなければいけません。図1の右側はいわゆる進行がん、転移性前立腺がんの場合、複数の治療の選択肢があります。終末ケアもありますから、治療法を考える際に意思決定の材料として、適時適切に情報を提供する必要があります。

図1

したがって、共同意思決定では、患者さんの熟考を支援するためのプロセスとしてさまざまな選択肢があることを最初にお話しするとともに、症状や治療の経過に応じて他の選択肢もお示しします。
その際、医師と患者さんが一緒に治療法を決めることが望ましいとされていますが、医師と患者さんの間で、治療の決定方法と治療の際に重視する点にギャップが存在します。体調が悪い患者さんほど、治療法の決定にかかわりたいと希望し、疲労感や骨の痛みの緩和といったQOLを、生存期間よりも重視する傾向がみられます。一方で、医師は治療に伴う有害事象よりも生存期間を重視した治療法を重視する傾向があります。
このような医師と患者さんとの治療選好の違いを踏まえた上で、治療の意思決定をする際には患者さんの意向に留意し、特に終末期においてはQOLの維持も考慮して治療法を提案することが医師側に求められます(図2)。

図2

パネルディスカッション
“わたしが望む医療”のための診察室コミュニケーションとは?~患者さん・医療者間のコミュニケーション・ギャップを埋める~

パネリスト

  • 佐々木 周作先生   (東北学院大学経済学部 准教授)
  • 上村 博司先生 (横浜市立大学附属市民総合医療センター 泌尿器・腎移植科 診療教授)
  • 山口 育子氏 (認定NPO法人 ささえあい医療人権センターCOML 理事長)
  • 武内 務氏 (NPO法人 腺友倶楽部 理事長)

患者さんと医療者間のコミュニケーション・ギャップとは

武内さん 前立腺がんの治療法は、泌尿器科と放射線治療科の両科に跨っており、種類も多く、患者が治療全体の情報を把握することがなかなかできない状況です。

上村先生 患者さんに短い時間で診断から治療法までを伝えないといけないので、医師側も治療の全体像を伝えることに難しさを感じています。

佐々木先生 前立腺がんについてとても特徴的だなと思ったのは、医師の側も、患者さんの協力がないと最適な選択肢が見えづらいという複雑さです。だからこそ共同意思決定が大事なのだと思います。

武内さん 医療者と前立腺がん患者の間のコミュニケーション・ギャップは、少し特殊かもしれません。
腺友倶楽部の会員からも、このような話を聞いています。「MRIで浸潤と骨転移が見つかったとき、日常生活で気を付けることについてアドバイスを求めたら、好きにしていいと言われてしまった」、「間欠的ホルモン療法について質問をしたら、薬が嫌なのかと思われてしまった」、「セカンドオピニオンを受けたいと言ったら、不快な気持ちにさせてしまったようだ」「術後、担当医から詳しい説明が無いまま、ひどい尿漏れが続いた」など、これらは、コミュニケーションをとる上で、多くの課題がありそうに思っています。

山口さん 武内さんのお話から、医師と患者さんが重視する部分にすれ違いを感じます。また、患者さんはわからないことや不安に思うことなどを医療者の前では我慢して言わない、医師は患者さんが何をわからないのかがわからない、というギャップもあるのかもしれません。

上村先生 医師側の説明が十分ではないことが、患者さんの不満やコミュニケーション・ギャップにつながっていると、今、痛切に感じています。

山口さん 詳しく説明してくれる医師もたくさんいます。ですが、その内容が難しくて患者さんが理解できないこともあります。患者さんもわからないときにどうアプローチすべきかを考え直すことが大事だと思います。

武内さん  自分の病状を正しく理解できていない人も多く、患者さんも自ら知ろうとする努力をすべきです。一方で、前立腺がんの患者さんには高齢者が多いので、医師は難しい話をしないほうがいいのではという配慮から、細かい説明をしてもらえないことも多いのではないかと感じます。また、医師にすすめられて手術をしたが、後で別の治療の可能性があったことを知ったという人もいました。

医療者との円滑なコミュニケーションのメリット

上村先生 コミュニケーションが増えると、普段は気づかないような薬の副作用、尿漏れの程度など患者さんの病態を医療者が知ることができるようになり、より適切な治療につながると思います。

山口さん 患者さんが自分のことを自分の言葉で正しく伝えられれば、患者さんの価値観やその治療を好む理由が医師に正しく伝わります。

武内さん 診察のとき、聞きたいことをメモしていって、積極的に医師に話しかける、という方は診察にしっかりと相談の時間をとってもらっているそうです。また、ある難聴の患者さんは、「難聴でご迷惑をかけます」と書いたプレートを首から提げ、挨拶と感謝の意を示すことを心がけているそうです。このような方は、医師とのコミュニケーションが良好とのことなので、患者側からの接し方でもだいぶ変わるかも、という印象です。

意思決定やコミュニケーションアプローチのノウハウ

佐々木先生 患者さんと医療者の両方が相田みつをさんの言う「人間だもの」だと、お互いに理解し合うことがスタート地点だと感じています。私が知る限りで、医療者の皆さんの間においても、患者さんの立場に立ったコミュニケーションの重要性はどんどん浸透していると理解しています。一方で、医療者にはどうしても時間の制約がありますから、なるべく多くの患者さんに丁寧に接するためには、例えば治療選択時の患者さんの意思決定のパターンを踏まえてコミュニケーションする、といったことが重要になります。その点で、行動経済学は医療に貢献できると思っています。

武内さん 前立腺がん患者は、どの治療選択肢を選ぶかを、とても気にしがちですが、自分自身を見直して「賢い患者」を目指すことで、医師とのコミュニケーションがうまくいく可能性がありそうですね。

山口さん 医師の説明に対し、患者さんは何となくわかった気持ちになって「わかりました」と答えてしまいがちです。しかし、正しく理解しきれていない可能性もあるので、「こういう治療効果があるという理解でよいでしょうか」などと自分の言葉で確認してほしいと思います。理解が正しければすっきりしますし、ギャップがあれば訂正してもらえます。医師からも「今の説明をどのように理解されましたか」と患者さんに確認するようにしてもらえると、お互いに理解度を確認できるようになると思います。

上村先生 患者さんには、質問をメモしておいて診察を受ける、医師の説明をメモする、ということをしていただけるとよいと思います。医師側も患者さんが何に困っているのかわかりますし、その後の診察も円滑に進むでしょう。私は診察の最後に「何か質問はありますか」と患者さんと一緒に来院されたご家族にも聞くようにしています。

Q&A

Q1 患者や家族が情報収集する際に気をつける点があれば教えてください。

上村先生 インターネット上には不正確な情報も少なくありません。病院のホームページなど信頼できる情報源から情報を得るようにしてください。それをメモやプリントアウトしておき、ご本人とご家族でしっかり話し合った上で、診察に臨むことが大事だと思います。また、自分の病気の状態を主治医に確認し、自分に合った情報を収集するように意識するとよいでしょう。

Q2 かかっている病院でどのような治療ができるのか、地域の医療機関と連携してもらえるのかを知りたいときはどうしたらよいですか?

上村先生 治療件数や治療の種類は、病院のホームページを見れば大体掲載されています。すすめられた治療法以外にどのようなものがあるかは、主治医に聞けば教えてくれるはずですし、今の時代、セカンドオピニオンは当たり前のことですので、「また先生のところに戻ってきますので」と一言添えて、紹介状を書いてもらうこともできると思います。

Q3 医師の説明や質問に対する答えが難しすぎて理解できない場合、よい聞き方や対処の仕方はありますか?

山口さん わかったふりをするのが一番よくないことです。「今のご説明も難しくて理解できません」と、正直に言ったほうがよいと思います。とにかく遠慮している方がとても多いことと、医師の前で言えなくても、「自分で決めろというけれど、決めるのは専門家の役割では?」と思われている患者さんも、高齢男性には多い印象です。きちんと理解した上で、医師と患者さんが一緒に決めていくことが大事です。

Q4 患者である父が、健康や治療に無頓着です。治療に前向きにさせるアプローチ方法はありますか?

佐々木先生 行動経済学でいう「他人の行動を気にする、情報源にする」という特性に着目することが有効だと思います。周りに同じ病気の方がいらっしゃらない場合、病気や治療の「相場観」のようなものをつかむのもなかなか難しいはずです。ですから、お父様と同じような状況にある、他の人の例を一緒に調べて教えてあげるのはどうでしょうか。

演者プロフィール

佐々木 周作先生

東北学院大学 経済学部 准教授
京都大学経済学部を卒業後、三菱東京UFJ銀行に入行。退職後、大阪大学大学院経済学研究科博士後期課程にて、博士号(経済学)を取得。専門は、応用ミクロ計量経済学、行動経済学。一般向け書籍に『今日から使える行動経済学』(ナツメ社)などがある。

上村 博司先生

横浜市立大学附属市民総合医療センター 泌尿器・腎移植科 診療教授
横浜市立大学医学部卒業。同大臨床研修医を経て、同大泌尿器科入局。
その後、米・ウィスコンシン大学 医学部がんセンターに留学。
帰国後、横浜市立大学医学部泌尿器科に所属し、現在、横浜市立大学附属市民総合医療センター 泌尿器・腎移植科の診療教授を務める。

山口 育子さん

認定NPO法人 ささえあい医療人権センターCOML 理事長
「賢い患者になりましょう」を合言葉に、患者と医療者が“協働”する医療の実現を目指し、医療現場により良いコミュニケーションを築く活動をおこなう認定NPO法人ささえあい医療人権センターCOML(コムル)の理事長。自身も25歳を間近にして卵巣がんを発症し、医療と深くかかわるようになる。

武内 務さん

NPO法人 腺友倶楽部 理事長
2004年に高リスクの前立腺がんを発症。自らの治療にあたって、前立腺がん情報の収集に苦労した経験から、その後一貫して、前立腺がん情報の発信を続けている。2014年、全国規模の「腺友倶楽部」(前立腺がん患者・家族の会)を設立。セミナーの開催、講演動画の配信など、患者・家族に前立腺がんに関する情報を提供すると共に、男性がんの啓発活動も行っている。