【連載2:遺伝子とがん】がんにおける遺伝子変異と分子標的薬

提供元:P5株式会社


今回は、がんにおける遺伝子変異と分子標的薬について解説します。
がんとは、遺伝子の異常により細胞が本来持つべき性質を失い、無秩序に増殖したり転移したりするなどして発生する疾患です。がん細胞の暴走で、生命維持に必要な様々な臓器が役割を果たせなくなるのです。

そもそも抗がん剤とは?

ここで、抗がん剤の歴史を簡単に振り返っておきましょう。
第1世代の抗がん剤は1940年代に登場しました。この時代の抗がん剤は毒ガスの研究から誕生したものでした。そこからの約40年間は、主に殺細胞性と呼ばれる抗がん剤が使用されてきました。
殺細胞性抗がん剤には、代謝拮抗剤や白金製剤、トポイソメラーゼ阻害剤などいくつかの種類がありますが、そこには共通した特徴があります。それは、殺細胞性抗がん剤は、正常細胞にとっても強力な毒物だという点です。

がん細胞は正常細胞と比較して、速いスピードで細胞分裂を繰り返し、増殖します。そのため、毒性化合物に対する感受性も高いのです。がん細胞と正常細胞の毒性感受性の違いを利用して、がんを治療しようというのが、殺細胞性抗がん剤のコンセプトなのです。
ただし、正常細胞の中にもがん細胞と同様、細胞分裂を頻繁に繰り返している細胞があります。造血幹細胞や粘膜細胞、毛根細胞などです。造血幹細胞が抗がん剤にやられると、体内で赤血球や白血球が作られなくなります。粘膜細胞は腸などの消化器の表面を覆っている細胞なので、これが傷害されると激しい下痢になります。毛根細胞は、髪の毛を生やすために必要な細胞なので、抗がん剤でやられると脱毛になります。
一般に抗がん剤治療というと、患者は重度の下痢や吐き気、脱毛、貧血などの強い副作用に苦しまされるというイメージがありますが、それは殺細胞性抗がん剤が作り出したものなのです。

がん遺伝子研究の成果から誕生した分子標的薬

1990年代以降、遺伝子解析の技術が進歩し、がんと遺伝子の関係が次々と解明されました。その結果、がん細胞の発生や増殖、転移に関わっている遺伝子(がん遺伝子)がいくつも突き止められたのです。
当然ながら、多くのがん研究者がこう考えました。「がん遺伝子の働きを止めれば、がんが治るのではないか」。この考えに基づいて発明されたのが、殺細胞性抗がん剤に代わり、現在、主流となっている分子標的型抗がん剤(分子標的薬)なのです。

分子標的とは何を意味しているのでしょうか。正確に言うと、細胞をがん化させているのはがん遺伝子そのものではありません。細胞内の中で実際に悪さをしているのは、がん遺伝子が生み出す異常たんぱく質分子なのです(連載1も参照ください)。 この異常たんぱく質の働きを阻害するのが、分子標的薬の基本的な作用機序です。分子標的とは、がんの原因となっている特定のたんぱく質を、狙い撃ちするという意味なのです。

狙い撃ちする薬が実力を発揮

分子標的薬は1990年後半から複数の製品が実用化されてきました。中でも、分子標的薬の実力を印象づけたのが、「グリベック」です。グリベックが登場したのは2001年で、まずは慢性骨髄性白血病(CML)の治療薬として発売されました。グリベックは、CMLの発症原因となっている異常たんぱく質(Bcr-Ablたんぱく質)の働きを阻害します。かつては“不治の病”という印象が強かったCMLですが、グリベックの登場により5年生存率が95%以上にまで改善されました。

「アバスチン」も、分子標的薬の時代をもたらした製品の1つと言っていいでしょう。アバスチンは大腸がんの治療薬として2004年に承認され、その後、肺がんや乳がんなどの治療薬としても認められています。アバスチンは進行した大腸がんを対象とした臨床試験で、既存治療と比較して約5カ月の延命効果を示したことで、画期的製品との評価を得ています。
アバスチンの標的分子は、血管内皮増殖因子(VEGF)と呼ばれるたんぱく質です。VEGFには、新しく血管を作る作用があります。腫瘍が成長するには、組織内に血管を引き込んで酸素や栄養を確保する必要があります。アバスチンは血管新生を阻害することによって、腫瘍を兵糧攻めにするのです。

国内では20種類以上の分子標的薬が利用可能に

現在、国内では抗がん剤として20種類以上の分子標的薬が利用可能となっています。代表的な製品を紹介しておきましょう。

「イレッサ」「タルセバ」
共に肺がん治療薬で、作用機序は内皮細胞増殖因子受容体(EGFR)の阻害です。EGFRは細胞増殖のスイッチとしての役割を果たしているたんぱく質です。一部のがんではEGFRの異常によりスイッチが常にオンになっており、増殖が無秩序に続きます。イレッサやタルセバはEGFRを阻害することにより、がん細胞の増殖を抑制します。

「ハーセプチン」
乳がん治療薬で、作用機序はHER2の阻害です。HER2はEGFRに似たたんぱく質で、EGFRと同様にがん細胞の増殖、転移に関係しています。

「アービタックス」「ベクティビックス」
イレッサやタルセバと同じEGFRを標的にした抗体薬です。こちらの製品は大腸がんの治療薬として利用されています。

「ネクサバール」「スーテント」
がんに関係する複数の異常たんぱく質を阻害する、いわゆるマルチキナーゼ阻害剤と呼ばれる抗がん剤です。主な適応症は腎細胞がんです。ネクサバールとスーテントが登場するまで、進行した腎細胞がんの治療には限られた薬剤しか存在せず、効き目が表れる患者も20%程度でした。しかし、ネクサバールは臨床試験で、初めて進行腎細胞がんの生存期間を延長することに成功しました。今では進行腎細胞がんの治療は、その9割が分子標的薬に移行しています。

分子標的薬独特の副作用に注意が必要な場合も

先に触れたように、殺細胞性抗がん剤の主な副作用は、吐き気、下痢、赤血球や白血球の減少、脱毛などです。分子標的薬でもこれらの副作用が表れることもありますが、時には殺細胞性抗がん剤では経験しないような副作用が出現することがあります。

例えば、イレッサが肺がん治療薬として使用され始めた当初、間質性肺炎を発症して呼吸困難に陥いる患者が多数発生し、多くが亡くなってしまうという事態が起こりました。従来の抗がん剤でも起こる副作用ですが、これ以降、イレッサや類似薬のタルセバを使用する場合は、特に肺の状態を慎重に観察するようになりました。

アバスチンでは、血栓により死亡する例が報告されています。また、肺出血や消化管穿孔が、発生頻度の高い副作用として挙げられています。いずれも、殺細胞性抗がん剤では、めったに起こらない副作用です。