カフェで学ぼうがんのこと原 千晶さん講演会「自分らしく生きるために〜2度のがんを経験して気づいたこと〜」
提供:NPO法人ウィッグリング・ジャパン
体調不良を感じるも一人で悩む日々
子宮がんを2回経験し、今年で治療後8年目を迎える女優の原千晶さん。1回目のがんは、31歳になろうとする頃。当時は今のように子宮頸がんや乳がんなど女性特有のがんに関して、検診を促すアナウンスは少なく、多くの女性が検診の必要性を感じていませんでした。原さんもその一人で、子宮頸がんに関しては症状が出にくいこと、さらにもともと生理痛はひどく痛さや辛さに慣れていたため、いつものことだろうとあまり深刻にとらえていませんでした。
そのうち、不正出血が続いたり、血が混じったようなおりものが沢山でるようになり、身体の異変を感じながらも半年ぐらい一人で悩むことになります。今振り返るとこのときに自分の身体と相談するべきだったと悔やまれます。
がん宣告より辛かったことは…
2005年2月半ば、ついに日常的に体の不調が続き、近くのレディースクリニックに行くと1cmぐらいの腫瘍が見つかりました。先生に大きな病院へ行くようすすめられ、東京都内の大学病院を受診します。そして腫瘍を取り除く円錐切除手術を受け、病理検査部でくりぬいた腫瘍の検査結果を待ちました。3月に入るころ、病院から連絡があり母親と2人で外来に結果を聞きに行きました。すると先生より「原さん、円錐切除で取った腫瘍はがんでした。」と子宮頸がん組織型が扁平上皮がんのIA期と告げられます。結婚も出産も経験しておらず、これまで仕事を頑張ってきた分、女性としての幸せはこれからだという矢先の出来事でした。
先生からはこのまま子宮を残してしまうとそこに再発や、他の臓器に転移する可能性もあるため、子宮も卵巣も全摘出をすすめられました。「がんでした」と30歳の若さで言われたことはとても辛いことでしたが、それより「子宮を全部取る」と言われたことの方がショックでその場に泣き崩れてしまいました。
女性にとって子宮を取るということは人生にものすごく関わってくることです。悩んだ末、円錐切除手術でひとまずがんは取り除いたので子宮は温存するという選択をしました。その代わり、月に1回きちんと検査を受けて経過観察をすることを先生と約束しました。
自身の甘さから引き起こしてしまった再発
その後2年間は先生との約束どおり毎月病院に通っていました。そうすると毎回検査結果をクリアしていくうちに「大丈夫、大丈夫、再発も転移もしない、このまま逃げ切れる」と自分の都合のいいように思うようになっていき、毎月病院に行くのも大変だし、検査も痛いものではないけれど心地よいものではないし・・・・・・。気づいたら円錐切除手術を受けて3年目ぐらいからパッタリ病院に行くのをやめてしまいました。これが、自分にとって1番の過ちだったことにのちに気づかされます。
35歳になった2009年の年末、体調が再び悪くなり、ついにはのた打ち回るほどの激しい腹痛に襲われました。自分の判断で通院をやめてしまったため、円錐切除手術を受けた大学病院には行きづらく、一番初めに行ったレディースクリニックへ行きました。先生から「前回とは全く状況が異なっています。これはきちんと大きな病院で検査を受けてください」と言われるも、大学病院へは行きづらいことを話し、他のがん専門の病院で診察を受けるとがんがみつかりました。
大学病院で先生の言うことを聞いて、1か月に1回の検査をきちんと受け、自分の身体を守っていれば、再びがんになってしまうことはあっても、進行する前にもっと早い段階で分かったはず。でもそれを怠ってしまったのは自分自身。その時は自分をのろうと同時にこれから先どうなるのだろうと恐怖でいっぱいでした。
後悔する日々
紹介先の病院が、がん専門だったこともあり、再発したのだと覚悟は決めていました。ただ、それでも「手術で子宮を取れば大丈夫だろう」と希望を持っていました。しかし、先生より「その段階はとっくに超えているよ」と言われてしまったのです。「今回は子宮頸部の腺がんで、その腺がんが子宮の入り口に広がって浸潤している状態です。子宮は独立した臓器ではなく、近くに膀胱や直腸などたくさんの大切な臓器と骨盤に収まっているため、子宮からがんが転移した場合は手術ができない可能性も覚悟してください。手術は後方子宮全摘というもので子宮、卵巣、卵管、女性の生殖器を全て摘出して、骨盤の中のリンパ節も沢山取らなければいけない5~6時間もかかる大きな手術です。そして手術が終わり、体力が回復したところで抗がん剤を6クール。全て終わるのに半年間ぐらいはかかりますのでお仕事は休んでください。これが当病院の標準治療になります」と、先生に矢継ぎ早に説明され、見事に希望が打ち砕かれました。
家に帰りインターネットで病気のことを調べると「リンパを取るとリンパ浮腫という後遺症が発症する可能性がある」「膀胱の近くの神経を触る可能性があるので排尿障害や排便障害が起こる可能性がある」など想像を絶する情報が飛び交っていました。これらを目にしたとき、「絶対に死にたくない! 命だけは助けてほしい」という思いと、なんでちゃんと通院をしなかったのだろうという後悔の気持ちでいっぱいでした。
カルテを取りに大学病院へ、そして治療へ
そのままがん専門の病院で手術を受けようと思っていましたが、治療のため前回受けた円錐切除手術のカルテをもらいに、うしろめたい気持ちのなか、再び大学病院へ行きます。そのとき、先生が診察もしてくださり「原さん、もう一度ちゃんと頑張って治療しましょう、絶対大丈夫だから、今度は逃げずにがんばろう」と言ってくださり、元の大学病院にもどって手術をすることを決意しました。精密検査の結果、子宮体部の部位内膜腺がんステージ3Cであることが判明しました。
2010年1月13日に手術を受け、術後も抗がん剤治療を3週間ごとに6クール行ないました。始めに投与して2週間ぐらいから髪の毛が抜け始め、頭皮もぴりぴりしてきて回を重ねるごとに毛という毛は全て抜け落ちました。TC療法で一番顕著な副作用が脱毛です。
そして、今度は夜も眠れないくらい全身がビリビリ電気を流されたように痺れが始まり、それがだんだんと指先などの末端神経だけが痺れるようになってきました。抗がん剤治療が終わった半年後ぐらいまではずっと断続的に痺れは起こっていました。それからひどい便秘に悩まされます。抗がん剤治療は一番応えて、身も心もボロボロになってしまいます。クールを重ねるごとに出現する副作用に戸惑いながらも、吐き気止めの処置や、色々な体のケアをしていただきながら何とか乗り越えることができ、2010年5月末に全ての治療を終えました。
人とのつながりにより回復へ
治療が終わり退院したとき、「どれだけスッキリした気分になるのだろう」ととても楽しみにしていました。ですが、実際に退院を迎えた日「これからどうやって生活して行ったらよいのだろう」という不安が募ります。ですが、その不安も一瞬のことで1日1日普通の生活に戻っていくなかで、半年ぐらいに髪の毛がポツポツ生えてきて1年半後にはウィッグがとれたりと、回復を感じるようになると「とにかくがんばって元に戻らなきゃ」という気持ちに変わっていきました。
2011年7月には、同じような経験をした乳がんや子宮がん、卵巣がんなど女性特有のがんを経験した女性たちが集まって、決して一人で悩むことなく情報や想いを共有できたらどんなに楽かという経験から、「よつばの会」という婦人科のがんの患者会を立ち上げました。そして、早期発見早期治療の鉄則を促し、罹患して語りつくせないほど感じた命や検診の大切さを訴え続けています。
今、元気を取り戻せた一番の要因は人とのつながりでした。「よつばの会」をはじめてがん経験者の方々が病気により人生が変わり、それをどうやって受け入れて乗り越えていったのか。今どうやって生活しているのか、など経験者でないと理解できない想いを聞いてもらえる場所があることを、すごく意義深いことであると感じています。誰かの役に立っているとか、誰かのためという想いが自分を徐々に力づけていき、ここまで回復できました。これからも少しでも多くの婦人科系がん患者の救いになるように励んでいきたいです。
第2部:トークセッション
原千晶さん、久留米大学先端癌治療センター 所長(ウィッグリング理事)山田亮先生、 ウィッグリング代表上田あい子によるトークセッション
Q:「人とのつながりが自分を前向きにしてくれた」とのことですが、他に前向きになれた出来事はありますか?
A:抗がん剤治療中が一番気持ちの浮き沈みが激しく大変な時期でした。当時、35歳という年齢で手術によって子宮をとってしまったので、そのことが一番つらくて・・・。自分が先生との約束を守らず引き起こしてしまったこととはいえ、子宮を失ってしまったダメージは強かったです。そんな時、病気をする前に学んでいたアロマセラピーの友人に「今、ぽっかり穴があいちゃって辛いかもしれないけれど、必ずそれを埋めてくれる出来事がこれからあなたの人生で起こるから楽しみだね」と言われました。
その友人はご自身の判断でお子さんがおらず、長い間お母様の介護をされていました。母親にならなかったことに引け目を感じていたのですが、お母様の介護を通じて母親の役割をさせてもらっていると打ち明けてくれました。それを聞いたとき、目から鱗が何枚も剥がれ落ち、元気が出てきました。
失うことや辛いことはみんなそれぞれにあります。でもきっとそれを穴埋めするようなことが起こると思います。これが私をすごく前向きにしてくれたエピソードです。
Q:がん以外の体調不良で他の病気にかかりましたか?
A:今のところがん以外の病気で病院にかかったことはありません。本当にまれなことなのですが、私は卵巣2つ残しています。35歳の当時はこのことにホッとしたのですが、今は転移や再発が心配でなりません。ですが、それが私の一つの運命だと思って受け止めています。
2017年春に遺伝子検査を受けると、リンチ症候群という診断が下りました。どうにもこうにもがんになりやすい体質だということを受け止めています。
Q:がんをご自身の経験として公表することは勇気のいったことだと思いますがそのきっかけを教えてください。
A:一番最初にかかった子宮頸がんの時は全く公表する気はありませんでした。人に知られたくなくて仕方なかったです。その後、私自身ががんと向き合うことができず、くしくももう一度がんになったとき、自分の考えや姿勢を改めるべきだと色々見えてきました。そして、2度目のがんを治療しながら隠し切れないだろうなと思っていました。そんなことよりも、自分が元気になることだけを考え、治療に専念しました。
治療が終わった半年後に公表したのですが、やはり隠すことが難しくなったんです。ウィッグが外せるかはずせないかのとき、TBSの「ヒルオビ」に出演がきまり、最初のころはウィッグで出演していました。今の時代、みんなの目はいくつもあるので逃げられないんです。それならハッキリいおうと思ったし、自分ががんと向き合えなかったことから引き起こしたことなので、そのことを今後の人生で背負っていくために皆さんに事実をお伝えして、がんの啓発をしていこうという気持ちに切り替わりました。
参加者の感想
・がんは2人に1人なると言われているけど、どこか他人事でしたが身近な人が去年、乳がんになり手術しました。これから検診は必要だと思いました。
・辛い経験を乗り越えられ、現在また元気にTVや講演会で活躍されているお姿に元気付けられました。私も6年前に甲状腺がんや乳がんを患い、今は定期検診に半年や1年に1回行っております。ありがとうございました。
・原さんのお話分かりやすかったです。原さんのように大病をされてもイキイキと活躍されて素晴らしいと思いました。原さんをお手本に私も生きていけたらと思いました。
・自分の経験と重なるところがあり、涙がでそうになりました。
・このような講演があると、がんの経験がある方に、今までよりも相手の立場を考えた行動がとれます。ありがとうございました!!
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- 活動内容
- NPO法人ウィッグリング・ジャパンでは、がん闘病中にかつらをレンタルするというサービスを提供することで、2010年から8年にわたり、約800名の女性がん患者さんをサポート。同じ経験をしたスタッフが患者対応するというピアサポートを取り入れることで、心のケアにも注力しています。