遺伝性の乳がん、治験の意義を知り自分の意志で参加

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太宰牧子さん

体験者プロフィール
太宰 牧子さん

性別:女性
年齢:50代
がん種:乳がん(遺伝性乳がん卵巣がん症候群)
診断時ステージ:ステージ2B

 太宰牧子さんに乳がんが見つかったのは2011年の冬。きっかけは、3年半の闘病の末に卵巣がんで亡くなったお姉さんの死後、太宰さんが続けてきたセルフチェックでした。乳がんと診断されたとき、お姉さんも卵巣がんだったことから、「遺伝性のがんじゃないか」との疑念をもち、遺伝学的検査を受けたところ、遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)と診断。手術後の病理検査で、ステージ2Bのトリプルネガティブ乳がんと診断され、術後補助化学療法を受けました。術後補助化学療法と併用して、「骨転移および再発に対するデノスマブの効果を検証する治験」にも参加。その後、卵巣がんのリスク低減のために受けた手術で卵巣がんが見つかり、治療を受けています。現在、HBOCの啓発にも携わる太宰さんに、治験体験やHBOCについて語っていただきました。

※遺伝学的検査:生殖細胞系列変異(親から子どもに受け継がれられる可能性がある変異)に関する遺伝子を調べる検査

40代で乳がんと診断、姉も卵巣がんだったから「家族に遺伝するがん」かも

 左乳房にできた小豆程度の大きさのしこりが気になりはじめたのは2010年12月のことでした。翌年、2月に地元の総合病院で検査を受け、初期の乳がんと診断され、2週間後の手術を提案されました。

 その時、頭をよぎったのは、「姉に続いて私もがんに…もしかして家族に遺伝するがんじゃないのかな」という疑念でした。私には1つ上の姉がいましたが、40歳の若さで卵巣がんで亡くなりました。私ががんと診断される3年前のことでしたが、そのことをきっかけに、私と妹は自分たちで情報を調べ、「姉妹で同じがんにかかりやすい」ことを知り、私は毎日欠かさずセルフチェックをしていました。 私も40代でがんになり、不安が膨らみました。

 乳がんと診断を受けてから、遺伝子変異によりがんになりやすい体質の人がいることを知りました。そこで、私のがんはどういうがんなのかを正しく知るため、妹と一緒に「遺伝学的検査」が受けられる病院を探し、がん専門病院に相談しました。 遺伝学的検査はすべて自費でしたが、検査を受けることにしました。「遺伝するがん」かどうかを調べるということは、他の家族(血縁者)にも影響が及ぶ場合もあるので、事前にしっかりと家族と相談しました。

 検査から約1か月後、私は、BRAC1遺伝子変異のある「遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)」と診断されました。

 遺伝性のがんとわかったことで、落ち込むことよりも原因がはっきりしたため少し不安が和らぎました。がん専門病院で手術を受けることになりました。最初は乳房の部分切除を予定していましたが、HBOCのリスクを考慮して全摘手術に変更。また、乳房の同時再建を希望していましたが、リンパ節転移や再発を考慮し、担当医の判断で同時再建は見送られました。

 手術後の病理検査で、ステージ2Bのトリプルネガティブ乳がんと診断され、術後補助化学治療としてAC療法を4サイクル受け、その後、約半年間のパクリタキセルの治療を受けました。

※AC療法:ドキソルビシン(アドリアマイシン)+シクロフォスファミド

「納得できなければ参加しなくていい」と医師、最後は自分の意思で参加

 再発リスクの高い乳がんに対して、「デノスマブ(製品名:ランマーク)の骨などへの転移の抑制効果を評価するという治験」への参加提案を受けたのは、化学療法が始まった初期の頃でした。当時の私は、治験そのものをよく理解していませんでしたし、元々あまり良いイメージがありませんでした。何度説明を聞いても「なんとなく怪しい」と感じたり、「何のために必要か」を理解できずにいました。

 治験の提案は腫瘍内科の医師から受けたものでしたが、これまでの経過を良く理解してくれている乳腺科の担当医が「いいよ」と言ってくれれば、治験参加に同意してもいいと思い、改めて治験について相談してみることにしました。

 ところが、「治験参加は自分の意思で決めるもので、僕が決めるものじゃない。治験は治療を兼ねているけど、まだ有効性も安全性もはっきりとしていないし、納得できなければ参加しなくていいよ」と大笑いされて、改めて治験とは何かの説明を受けました。

 私が治験に参加することで、「今後、同じ病気の患者さんの役に立つ可能性があること」「新薬開発に貢献できること」「治験参加中の検査が手厚く行われること」などを知り、参加を決めました。

治験中は大変な思いもした一方でこまめな問診などに安心

 治験中は大きな体調の変化はありませんでしたが、治験薬の注射がとにかく痛くて、腕が腫れました。採血も頻回にありましたが、一番つらかったのは、必ず服用しなければいけなかったカルシウム剤の内服です。一粒が大きくて、かなり硬く、ヨーグルト味とはかけ離れていました。とても苦手で鼻息を止めて噛み砕いて飲み込み、味もあまり覚えていないほど服用するのが大変でした。治験に参加した2011年7月から終了した2015年の暮れまでの約4年半、たまに飲み忘れることもありましたが、よくがんばってカルシウム剤を服用したなと自分をほめてあげたいと思います。

 治験が中止終了となった理由を知らされていないので、そこはきちんと理由を知りたいと今でも思っています。

 大変な思いもしましたが、治験への参加は安心感もありました。骨転移がないかを調べる骨シンチグラフィや全身の管理をはじめ、治験コーディネーターが体調を気遣ってくださることや小まめな問診、リラックスできる会話は大切な時間でした。また、遺伝学的検査を自費で行っていた分、治験参加によって負担軽減費をいただけていたのも助かりました。

※負担軽減費:治験のための来院に伴う経済的負担(交通費等)を軽減する目的で、治験参加者に給付される費用

治験、遺伝学的検査、HBOC治療など実体験を患者会活動に生かす

 治験終了後数年間は乳がんを含むがんの再発はなく、日常生活を送ることができました。2014年、私は一念発起して、HBOC当事者の1人として患者会を設立。「心の鍵をあけてほしい」という願いを込めて、「クラヴィスアルクス」と名付けました。クラヴィスは「鍵」、アルクスは「虹」を意味するラテン語です。「虹」を見つけた時のような、明るく、ポジティブなイメージを込めています。

 2019年、リスク低減卵管卵巣摘出術を受けたところ、術前には確認されていなかった卵巣がんが見つかり、治療を開始。その後は定期的な通院を続いていますが、患者会の運営や講演など、HBOCを正しく理解してもらうための啓発活動を積極的に行っています。

 私は、HBOCで再発リスクの高い乳がんとわかったことで、治験に参加しました。そもそも治験というものを全く知らなかった私が、治験参加を通して、「治験とは何なのか」「治験に参加する意義」「治験のメリットとデメリット」などを知ることができました。こうした実体験や医師から受けた説明は、倫理委員としての立場や、患者会相談の中で治験について説明をする上でとても役に立っていますし、治験に参加してよかったと思っています。私がHBOC治療を通して見聞きした1つ1つの経験を、一人でも多くの方に知ってもらうことで、同じ病気で悩む方に役立ってくれることを望んでいます。

治療歴

2010年12月
セルフチェックで左乳房に違和感を感じる
2011年2月
地元の総合病院で精密検査
乳がんと診断、外科治療を提案される
がん専門病院を受診し、遺伝性のがんについて相談
2011年3月
遺伝学的検査を受ける
2011年4月
BRCA1遺伝子に病的バリアントが認められ陽性と判明
2011年5月
手術で左乳房全摘、トリプルネガティブ乳がんと診断
デノスマブの治験参加の提案を受ける
2011年7月
術後化学療法(AC療法+パクリタキセル)、デノスマブの治験に参加
以後、3か月に1度の定期診察を受ける
2011年10月
放射線治療 以後、3か月に1度受診して、治験薬の投与を受ける
2015年12月
デノスマブの治験中止により終了
2019年9月
リスク低減卵管卵巣摘出術
摘出部位にがんが見つかり卵巣がんと診断
2019年10月
卵巣がん標準手術で子宮、大網、リンパ節を切除
2019年12月
術後化学療法を開始
 

治験内容

治験名
標準的な術前/術後補助療法を受けている再発リスクの高い早期乳癌女性患者に対する術後補助療法としてのデノスマブの試験(D-CARE)
対象疾患
乳がん
治験概要
デノスマブが術後補助療法として再発リスクの高い早期乳癌女性患者に投与された時の、骨転移および骨以外の部位での再発に対するデノスマブの効果を調査
フェーズ
第3相
試験デザイン
国際、ランダム化、二重盲検、プラセボ対照試験
登録数
4,500
治験薬
デノスマブ
対照薬
プラセボ
主要評価項目
無骨転移生存期間
副次的評価項目
無病生存期間、全生存期間、無遠隔再発生存期間、安全性および忍容性など