進行がん治療は「頂上の見えない山に挑戦するようなもの」荒井保明先生インタビュー

本記事は、株式会社法研が2012年12月25日に発行した「名医が語る最新・最良の治療 肝臓がん」より許諾を得て転載しています。
肝臓がんの治療に関する最新情報は、「肝臓がんを知る」をご参照ください。

進行がん治療は、頂上の見えない山に挑戦するようなもの。患者さんとともに、あきらめず、一歩一歩確実に、安全に登っていきたい。

荒井保明先生

 2012年7月、日本のがん医療の中核である、国立がん研究センター中央病院の院長に就任した荒井保明先生。IVR(インターベンショナル・ラジオロジー)の草分け的存在です。
 IVRとは、体内のようすを画像で見ながら、針やカテーテル(細い管)を用いて行う治療のこと。肝動脈化学塞栓療法はIVRの代表的な治療の一つで、画像を見ながら、指先の感覚を頼りに血管内を細いカテーテルを進めて、薬を流す、高い集中力を必要とする治療です。
 院長としての業務に忙殺されるなか、時間があれば院長室から古巣のIVR室に向かう荒井先生。今も週に1~2例は治療を担当、早朝にひと仕事を終えて、午前中の肝動脈化学塞栓療法に臨むことも珍しくありません。「IVR室にいると落ち着く。治療の現場が好きなんです」
 そんな荒井先生がIVRに出合ったのは、32歳のとき。もともとはがんの薬物療法などを専門とする腫瘍内科医を目指し、愛知県がんセンター病院への赴任を希望していましたが、そのとき席があいていたのは、放射線科でした。そこで当時まだ始まったばかりのIVRに接し、IVRを専門とする放射線科医としてスタートを切ります。
 30歳代になると1週間に20例は当たり前、1日に10例以上のIVRをしたこともあったそうです。睡眠時間はわずか3時間という生活でした。
 そんなハードワークを支えた荒井先生の気力・体力の源は、趣味の登山にあったのかもしれません。これまでに挑戦した山は、ヒマラヤ山脈にそびえるエベレストやナンガ・パルバットなど8,000m級の山々。今は多忙なこともあって、国内の山に登る回数も多くはありませんが、昨冬はたった一人で、マイナス20℃を超える八ヶ岳(やつがたけ)の赤岳(あかだけ)にバリエーションルート(一般ルートとは違う、沢筋や岸壁などの困難な登山路)から登ったそうです。
 「山のなかに一人でいると、自分がどこの何者なのかなんて、関係ありません。絶対的な自然の猛威に対し、自分の知恵と体力だけを頼りに挑み、結果はすべて自分にはね返ってくる。その誰にも頼れない状況が好きなんです」
 山登りについてはまた、「がん治療に通じるところがある」とも。「事前に緻密(ちみつ)な計画を立て、一歩一歩進んでいく。山を(がんを)侮らず、また決して自己の能力を過信しない」ところが共通するとか。治療という登山では、パーティを組み、その仲間は患者さんと放射線診断科のスタッフたち。互いに信頼し合い、協力し合って、頂上を極めるためにがんばるところも、山道を彷彿(ほうふつ)とさせます。
 「すべては自分との勝負。だからといって自分の身の丈に合わないことを、無理をしてやったところで到底勝てません。登山もIVRも安全に終えることが、最大の勝利であり成功だと思っています」
 自らを「怠け者」と評する荒井先生。医師としてここまでこられたのは、ひとえに患者さんや周囲のおかげだといいます。「いつも私を後押ししてくれたのは患者さんです。疲れたときには病棟に行く。いつも僕に元気をくれるのは患者さんたち。だからがんばれたし、その気持ちは今も変わりありません」
 こうした患者さんとの関係が成り立つのは、肝動脈化学塞栓療法が一度で終わる治療ではないということが挙げられるかもしれません。必ずしも根治できないこともあるこの治療法では、追加の治療が必要となることが少なくありません。
 「そのたびに治療を受けるのは、決して楽なことではありませんが、治療を続けがんと共存できれば、長生きできる方もおられます。希望は捨てないでほしいと思います」

荒井保明(あらい・やすあき)先生

荒井保明

国立がん研究センター中央病院院長 放射線診断科長
1952年東京生まれ。79年東京慈恵会医科大学医学部卒。国立東京第二病院内科研修医、レジデントを経て84年より愛知県がんセンター勤務。97年同放射線診断部長。2004年、国立がんセンター中央病院放射線診断部長に就任。同病院副院長などを経て、現職に至る。