陽子線は「守り」の治療から「攻め」の治療へ「まだ道は半ば。これからの治療」櫻井英幸先生インタビュー

(名医が語る最新・最良の治療 肝臓がん 2012年12月25日初版発行)

「守り」の治療から「攻め」の治療へ。放射線治療のユーティリティ・プレーヤーとして、患者さんの生きる力になりたい。

櫻井英幸先生

 陽子線は、安全・確実で、かつ患者さんへの負担も軽く、まさに最先端治療という名にふさわしい治療です。しかし、「まだ道は半ば。これからの治療だと思っています」と櫻井英幸先生はいいます。
 「放射線療法はずっと、緩和医療の一つとしての位置づけでしかなく、症状をやわらげることが目的とされていました。私が医師になったときもそういう考え方でした」
 痛みの症状をやわらげる、いわば「守り」の治療から積極的に治しにいく「攻め」の治療へ。それは櫻井先生の恩師で、医学部時代に入っていた野球部の監督でもあった、新部英男(にいべひでお)先生(元群馬大学医学部放射線医学講座教授)の「緩和も重要だが、これからは根治に放射線がかかわってくる時代になる」という言葉に触発された結果でもありました。
 放射線療法に将来性を感じた櫻井先生は、放射線科医になることを決意。群馬大学病院などで経験を積み、陽子線治療で歴史ある筑波大学の教授に就任し、陽子線医学利用研究センターのセンター長に着任します。
 櫻井先生は、放射線科医の難しさは守備範囲の広さにある、といいます。ほかの診療科は消化器科、産婦人科など対象は臓器ごとになりますが、放射線科は放射線という”治療ツール”を扱い、対象は横断的。そのためたとえば肝臓がんの治療計画について議論を闘わせる相手は、肝臓外科、あるいは肝臓内科であり、またほかの臓器であればその診療科の医師になります。「それぞれの臓器について、その道のプロと同じレベルの知識をもちつつ、放射線療法を行うことの利点を伝えなければなりません。学ぶことが多く、学生時代より今のほうが勉強しています」
 昨今、放射線とひとくちでいっても、X線や電子線を用いるリニアックやガンマナイフ、サイバーナイフなどさまざまな装置が登場し、また照射方法も定位放射線療法、強度変調放射線療法などと多様化してきました。ここに陽子線や重粒子線といった最先端の治療法も加わったことで、さらに放射線療法の裾野は広がり、今は各装置の専門家ができつつあります。しかし、櫻井先生は「専門を突き詰めていくと、その治療がベストと考えるようになってしまいます。私はそれぞれの放射線療法の特徴をいかせる治療を客観的にジャッジし、患者さんに提供する存在でありたい」と自らを戒めます。
 陽子線治療のみならず、X線治療や小線源治療など、さまざまな放射線療法に取り組む櫻井先生。だから、「陽子線治療の専門家」と称されるのは、いささか居心地が悪いそうです。
 診察の際は、「自分だったらどうする」と、自問します。「たとえば年齢が高かったり、難度の高い症状の患者さんに対しても、陽子線治療を行うか。やるべきではないという否定的な意見もあるかもしれませんが、患者さんが望まれ、医学的に治療の有効性が考えられる場合は、最善を尽くしたいと思っています」もちろん、患者さんには有効率やリスクなど、すべて話したうえで治療に臨みます。
 今、櫻井先生が精力的に取り組んでいるのが「集学的治療」です。集学的治療とは、陽子線治療だけで治療するのではなく、手術や化学療法など、ほかの治療法と組み合わせて行う治療法です。陽子線治療と化学療法の組み合わせによっては、単独で行うよりも治療効果が高まることがわかってきました。ほかの治療法の長所と陽子線治療の長所を組み合わせることで、まだよい治療法が確立されていない難治性のがんに対して治療体系の確立を目指しています。
 医学部時代の野球部ではレギュラーだった櫻井先生。全国優勝を果たし、全日本選抜メンバーとしてロサンゼルス五輪に出場したブラジルチームの練習相手にもなりました。今もJAPANと書かれた代表ユニフォームを大切に保管しています。当時の守備はファースト。今はユーティリティ・プレーヤー(あらゆるポジションの役割を果たす)としての放射線科医です。

櫻井英幸(さくらい・ひでゆき)先生

櫻井英幸先生

筑波大学大学院人間総合科学研究科教授
筑波大学附属病院陽子線医学利用研究センター長
1962年群馬県生まれ。88年群馬大学医学部卒業後、英国ケンブリッジ大学リサーチフェロー、群馬大学医学部大学院講師などを経て2006年、同大大学院医学系研究科助教授。翌年准教授となる。08年より筑波大学大学院人間総合科学研究科教授。現在に至る。