「がんノート」がん経験者だから発信できる情報を、生放送で全国の患者さんに届けたい
2018.3 取材・文 大場真代
がん経験者の声をがん患者さんに届ける生のインタビュー型情報発信番組、がんノート。代表理事の岸田さんは、自身のがん闘病の経験から、がん経験者だからこそ知っている情報を患者さんに届ける活動を始めました。「がんになったからこそ知りたい情報」を届ける活動について、お話をうかがいました。
治療にかかるお金や恋愛のことなど、がん経験者の生の声
がんノートは、がん経験者の声をリアルタイムでがん患者さんに届ける「生のインタビュー型情報発信番組」です。がん経験者へのインタビューを通じて、がん経験者の生の声を発信する活動を2014年から開始し、現在までで80名以上の方にインタビューをしています。病気のことや治療のことだけでなく、がん経験後の生活のこと、治療にかかるお金、社会復帰するまでのこと、恋愛のこと、妊孕性(にんようせい)のことなど、さまざまなテーマについてインタビューしています。
僕は、25歳のときに「胎児性がん」と診断され、わかったときにはがんが全身に転移していました。最初に異変に気づいたのは、首のあたりがポコっと腫れてきたことからです。それがだんだんと大きくなってきて、体調不良も続きました。がんと診断されたのは、最初に首の腫れに気づいてから半年後でした。抗がん剤を3回、手術を2回行い、現在は経過観察中です。
がんを宣告され死を意識したときに、僕は3つの「したいこと」を考えました。「親孝行をしたい」、「お世話になった方々に恩返したい」、「社会貢献をしたい」です。自分にどんな社会貢献ができるかと考えたときに、自分の経験を情報として発信することだと思いました。そこで、1回目の手術が終わった後にブログを立ち上げて情報を発信し始めたのが、がんノートの始まりです。
「情報がないと頑張れない」とショックを受けた経験から
僕自身、欲しい情報が得られず苦労した経験がありました。とくに情報の大切さを痛感したのが、2回目の手術の後です。おなかのがんを取った後に、射精神経に傷がつき、妊孕性が失われてしまいました。治療を受ける前に、医師からは妊孕性が失われる可能性があると説明を受け、あらかじめ精子は凍結保存していました。しかし、実際に体の機能が失われたことで男性としてのアイデンティティが失われたと感じました。その時に、インターネットなどで必死に情報を探しましたが、なかなか自分が欲しい情報を見つけることができませんでした。「情報がないと頑張れない」と感じ、そのときのショックは、がんの宣告を受けたときよりも大きなものだったと思います。しかし、あるがん経験者の奥さんのブログから、機能が戻る可能性があるという情報を得ることができ、その時は小さな光を見つけた気がしました。このように、がん経験者だから発信できる情報を、がん患者さんに届けたいと考えました。
妊孕性の問題以外にも、がんになったからこそ知りたい情報は多くあります。僕自身、社会復帰のことやお金のことなど、知りたい情報が多くありました。そのような経験から、他の患者さんはどう工夫して問題を対処しているのか、困ったことがあれば相談できる場所はどこにあるのかという情報も発信していければと思っています。
全てのがん経験者が笑って過ごし、がんをオープンにできる社会を目指して
現在まで出演してくださったがん経験者の方は、著名人の方ばかりでなく“普通”の患者さんがほとんどです。それは、医師など医療従事者には聞きづらいような生活に関すること、例えばお金のことや恋愛のことについて、がん経験者だからこそ知っている情報を、がん経験者の本音を伝えられるような番組作りを心がけているためです。
また、がん経験者は日本のさまざまな場所におり、近くに同じような経験をしている人がいないという場合もあります。この時に感じる孤独感を少しでもやわらげたいと考え、場所を選ばずに時間を共有できるネットでの生放送にこだわっています。名古屋に住むある患者さんは、がんノートを毎回観てくださり、「退院したらがんノートに出演する」ということがモチベーションとなって治療を続けられたと話してくれました。また、希少がんの患者さんたちが、がんノートを通じて知り合い、交流を持てたという話も聞きました。がんノートは、これからもがん経験者にとって前向きにつながれる場所でありたいと思っています。
当面の目標としては、放送回数100回を目指すことです。さらにその先の目標として、地域ごとの活動も行っていきたいと考えています。現在は東京からの発信だけですが、地域ごとの情報発信も行っていきたいです。そして、最終的な目標としては、がんをオープンにできる社会づくりです。今は、がんだとわかったときに自分を責めてしまったり、がんだということを周りの人に言えなかったりと、がん経験者が心から笑って過ごせる社会ではないと感じています。いつか、全てのがん経験者が笑って過ごし、がんをオープンにできる社会にできるように活動を続けたいです。