「『この医者に会えてよかった』と思ってもらえるように全力を尽くす」寺地敏郎先生インタビュー
本記事は、株式会社法研が2011年7月24日に発行した「名医が語る最新・最良の治療 前立腺がん」より許諾を得て転載しています。
前立腺がんの治療に関する最新情報は、「前立腺がんを知る」をご参照ください。
手術翌日に、患者さんがニコニコしながら歩いているという感動。それが普及に挑むきっかけでした。
寺地先生が泌尿器科を志したのは、早く手術をしたかったからだといいます。
「外科系の魅力は、手術によって患者さんを治しているという実感が得られるところ。当時は消化器外科は人気が高く、若手には手術の機会が少なかったので、たくさん手術ができそうな泌尿器科を選びました」
寺地先生がいちばん初めに腹腔鏡手術を手がけたのは1991年のことです。腎臓を取る手術でした。翌1992年には副腎を取る手術をしました。
「今では1時間もかかりませんが、このときは4時間半かかりました。でも、手術を受けた患者さんは、翌日からニコニコ笑いながら病院の廊下を歩いていました。その姿を見たときの感動は、今でも忘れられません。腹腔鏡手術は患者さんにとって大きなメリットがあるのだと実感しました。それまで副腎を取る手術といえば、おなかを30cmくらい切っていたので、患者さんが翌日から歩くなど想像もできないことだったのです。なんとしても術式を確立し、腹腔鏡手術を日本で普及させたいと思いました」
そんななか1998年にフランスで、腹腔鏡を使った前立腺がんの全摘除術が確立されたというニュースを知り、寺地先生は日本での第一例に挑戦することになります。
「ビデオでしか見たことがありませんでしたから、全国から腹腔鏡手術を行っている先生や開腹手術で前立腺がんの治療をしている先生など12人に集まっていただき、みなさんに見てもらいながら、慎重に手術に臨みました。12時間がかりでしたね」
2000年になり、寺地先生はフランスに飛び、前立腺がんの腹腔鏡手術を確立した先達の手術を見学したそうです。帰国後、京都大学から移った天理よろづ相談所病院で、本格的に前立腺がんの腹腔鏡手術を手がけることになりました。
「帰国後の2例目では、手術時間を6時間に短縮することができ、2000年7月ごろからは、現在と同じ3時間でできるようになりました」
寺地敏郎(てらち・としろう)先生
東海大学医学部外科学系 泌尿器科教授
1952年岡山県生まれ。京都大学医学部卒。倉敷中央病院に勤務後、99年京都大学大学院医学研究科泌尿器病態学教授として、日本で初めて前立腺がんの腹腔鏡手術を手がけた。その後、天理よろづ相談所病院泌尿器科部長を経て、2002年から現職。腹腔鏡手術のスペシャリストとして知られる。