「ただ焼けばいいんじゃない。患者さんの未来につながるような治療を」土谷 薫先生インタビュー

本記事は、株式会社法研が2012年12月25日に発行した「名医が語る最新・最良の治療 肝臓がん」より許諾を得て転載しています。
肝臓がんの治療に関する最新情報は、「肝臓がんを知る」をご参照ください。

治療後は仕事に、旅行に、人生を愉しんでほしい。患者さんの未来につながる治療をしてこそ、意味があります。

土谷 薫先生

 武蔵野赤十字病院の手術室。手技を行う土谷薫先生の鋭いまなざしの先にあるのは、患者さんの肝臓を映す超音波の画像モニター。うつらうつらしている患者さんに時折優しく話しかけながら、慎重な手つきで肝臓に挿入した電極針をゆっくりと進めていきます。針先にあるのは、モニターに黒々と映る「がん」。土谷先生によるラジオ波焼灼療法の現場です。
 それから1時間後、治療を終えてマスクを取る土谷先生の口元には、小さな笑みが浮かびます。「今の患者さんは80歳代ですけど、すごくすてきな方なんですよ」。C型肝硬変の患者さんで、今回初めてラジオ波焼灼療法を受けることになりました。
 「治療の撮影をさせていただいてもよろしいですか? とうかがったら、冥土(めいど)の土産にいいかもねって笑うんです。治療するから(冥土に行くのは)まだまだ先ですよ、とお返事したんですが」そんなやりとりからも、ラジオ波焼灼療法で患者さんを元気にしたいという思いが伝わってきます。
 両親、祖父母ともに医師だったという土谷先生が医師を目指したのは、ごく自然のこと。昼夜なく患者さんのために働くということが、当たり前だった家庭。特に小児科医として活躍する祖母や母の姿に、子どもながら尊敬の念がめばえていました。「私も、こんな女性になりたい。そして患者さんのために働きたい」
 ただ、土谷先生が目指したのは小児科医ではなく、消化器内科の医師。実際に目で見て、病変を診断、治療する、内視鏡を使う分野に携わりたかったからだそうです。また、内科医としてがんの患者さんの力になりたいという思いもありました。
 「内科医は患者さんと最初に出会い、最後までずっとおつきあいする仕事。患者さんの病状や全身状態から、ベストな治療は何か、元気を取り戻すための戦略をただひたすら考える。そういう作業が好きなんです」
 武蔵野赤十字病院に勤務して以来、ラジオ波焼灼療法の第一人者である泉並木(いずみなみき)先生(同病院副院長)からじきじきに指導を受け、そこで肝臓がんをはじめとする肝臓病を診(み)ることにやりがいを感じはじめました。肝臓がんだけでなく、その原因となる肝炎や肝硬変を患っている人たちの診療も日々行いながら、その人に合った医療を提供し、早い段階でがんをみつけ、治療をする。そこには土谷先生が思い描いていた、患者さんとじっくり向き合う医療が存在します。
 「ラジオ波焼灼療法でしっかり治療ができれば、5年、10年たっても元気でいられる。傷口は5mmくらいですから回復も早い。これで治るのであればこんなにいい治療法はないと思います」
 ラジオ波焼灼療法を続けるなかで精いっぱい人生を楽しんでおられる肝臓がん患者さんも少なくありません。  「治療して、仕事にすぐ復帰したり、旅行を愉(たの)しんだり。そうした患者さんたちの元気な気持ちを共有させていただくことが、うれしくて」
 その一方で、この治療法で適応を大きく超えた病変にも対応している施設があるという現状に、表情が一瞬、曇ります。「何か大きなトラブルがおこったとき、ラジオ波焼灼療法自体に問題があるといわれかねない。ただ焼けばいいんじゃない。患者さんの未来につながるような治療をしていきたいです」
 将来のラジオ波焼灼療法は、機械と技術の進歩により大きな転換期を迎えると、土谷先生は変革の予兆を感じています。「将来的には、遺伝子診断でその患者さんの肝臓がんの性質や肝臓自体のがんのなりやすさ、再発のリスクなどがわかるようになる日がくるでしょう。そうなれば、患者さん一人ひとりにいちばん合った治療法が受けられるようになります。肝臓がんの治療はこれからです」

土谷 薫(つちや・かおる)先生

土谷 薫先生

武蔵野赤十字病院 消化器科副部長
東京生まれ。1998年、群馬大学医学部卒。日本赤十字医療センター臨床研究医を経て、2000年より武蔵野赤十字病院消化器科勤務。09年山梨大学・医学系大学院先進医療科学修了。11年4月から現職。