「患者さんが何を知りたいかを知りたい」井本滋先生インタビュー

本記事は、株式会社法研が2011年11月25日に発行した「名医が語る最新・最良の治療 乳がん」より許諾を得て転載しています。
乳がんの治療に関する最新情報は、「乳がんを知る」をご参照ください。

「常識」や「標準」に捉われず、次の治療を求めて乳がん医療と取り組む。それが患者さんの利益につながると信じています。

井本滋先生

 抗がん薬治療をしなくても、がんが消えるかもしれない―。分子標的薬トラスツズマブという新しい選択肢は、乳がん治療の可能性を大きく広げました。「研究段階ですが、手術前に別の分子標的薬と組み合わせることで、2割はがんが消えるという結果も出ています。その場合抗がん薬はいらないわけです」。
 毒性の強い従来の抗がん薬。正常細胞も攻撃の的となり、その限界も見え始めているなか、がん細胞を狙い撃(う)ちにする分子標的薬の切れ味は、まさに劇的。HER2陽性のタイプの乳がんに対するトラスツズマブの効果を目の当たりにすると「まるで違うがんを見ているようだ」といいます。トラスツズマブ+抗がん薬のビノレルビンの治療中「脳に転移が現れた患者さん、転移巣(そう)の手術と放射線療法を行って、約2年無治療で元気に過ごしています」。転移後、何も治療しないで過ごせる、以前には考えられないことです。
 もちろん、「早期でも、浸潤がんであれば、テロリストが体に隠れている状態」の乳がんだけに、本当の意味で、がん細胞を根絶やしにすることはできないにしろ、テロリストが暴れ出さないように折り合いをつけられるのなら「がんで命を落とさずにすむ。それには、トラスツズマブのように、自分の免疫の力を利用してがんの進行を抑える治療という考え方が有効な気がします」。
 手術や薬で積極的に「キュア」を求めつつ、がんとの平和的な共存にも関心が。「がんの気持ちが知りたいですね」。一旦はおとなしくなったがん細胞たちが、ある時間を経て、それも人によってまちまちな現れ方で暴れ出す。そのありようが井本先生にとっては「生物として非常に不思議。適当に折り合っていた患者さんの免疫との関係がどうして突然崩れてしまうのか」。がんを「治す」こと、患者さんが「治る」こと。毎日の臨床のなかで出合う不思議といえるのかもしれません。
 「次の医療を一歩一歩つくっていきたい」という井本先生。その一つの大きな成果が、センチネルリンパ節生検標準治療化でした。
 1997年冬、ある学会で聞いたイタリアのヴェネロッシィ先生の講演は、100年来の乳がん治療の常識を180度覆す、画期的な概念でした。この出合いを「運命的」と感じた井本先生は、日本でのセンチネルリンパ節生検の確立と普及に尽力。いまでは、標準治療として浸透しています。「常識と思われていることや決められていることであっても、決して絶対的なものではない」。一つの常識の転換点、それによって、患者さんには大きな恩恵がもたらされます。そのダイナミズムは、医師冥利(みょうり)に尽きるといっても過言ではないはずです。
 人生には3回チャンスがある。ただ、それに気がつく人と気がつかない人がいる―井本先生が大切にしているという言葉です。「私がセンチネルリンパ節生検に出合ったのは、明らかに、この3回のうちの1回だったと思っています」。
 乳がんの治療を通して患者さんと向き合うことで「自分では経験できない人生にたくさん出合える」ことに、医師という仕事の魅力を感じるともいいます。学生のころは数学者になりたかったという井本先生。医学部に行ったのも、乳腺外科に進んだのも「すべて偶然」。しかし、「医学は常に勉強が必要。私は生意気な性格なので、きっと神様が生涯勉強するようにと与えた道なのではないかと思います」。
 古巣の国立がん研究センター東病院での経験もあり、患者さんには「まず、告知ありき」。「治療法は提案しますが、本人が自分の意思で決めるのが大前提。患者さんが何を知りたいかを知りたい」と、”次の医療”への意欲を胸に秘め、井本先生は今日も患者さんと向き合っています。

井本 滋(いもと・しげる)先生

井本滋先生

杏林大学医学部 外科(乳腺)教授
1960年東京都生まれ。85年慶應義塾大学医学部卒業。同大医学部一般消化器外科、足利赤十字病院外科などを経て、国立がん研究センター東病院乳腺外科にて14年勤務。2007年より現職。センチネルリンパ節生検の国内での標準化に貢献。

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