プレシジョン・メディシン(精密医療)が変える がん遺伝子変異別の大腸がん治療とは

吉野孝之先生
監修:国立がん研究センター東病院 消化管内科長 吉野孝之先生

2017.11 取材・文:村上和巳

 大腸がんは症状の進行度合いによって、病期がステージ0~4までの5段階に分けられますが、早期に発見されれば治癒を目指す治療が望め、国立がん研究センターが公表している大腸がんの5年相対生存率では、ステージ1で98.8%、ステージ2で91.3%です。新たに注目を集めているのが、患者さんがもつ遺伝子変異に最適な治療方法を選択して実施するプレシジョン・メディシン(精密医療)による個別化医療です。近年、大腸がんで注目されている遺伝子の1つRAS遺伝子と、RAS遺伝子変異を標的とした治療法を解説します。

有効な新薬の登場が、生存期間の延長に大きく貢献

 大腸がんは、1980年代はフルオロウラシル(製品名:5-FU)という抗がん剤と、その効果を増強するホリナートカルシウムという薬を併用することで得られた患者さんの生存期間は1年程度でした。しかし、現在では3~4種類の薬剤を併用することで患者さんの生存期間は3年近くまで延長しました。診断の進歩なども影響していますが、この間の生存期間の延長に最も大きく貢献しているのは、大腸がんに有効な新薬が数多く登場したことです。現在では日本とアメリカ、ヨーロッパでひとつの新薬候補に対する共同の臨床試験が行われるようになり、日本でも海外と同じ速さで新薬が使えるようになっています。

 現在、大腸がんの治療として医療保険で認められている薬剤は、前述のフルオロウラシルにイリノテカン、オキサリプラチン、カペシタビンといった、細胞に対する毒をもって毒(がん細胞)を制する殺細胞性抗がん剤に加え、がんの増殖や生存に必須な分子の働きを抑える分子標的治療薬も含めて約10種類。現在新薬承認を目指して臨床試験中のものも数多くあります。

 ただ、治療成績は向上しても、こうした新薬が全ての大腸がん患者さんに有効ではなく、また有効な患者さんでも全ての患者さんが長期間有効性を保てるわけではありません。そうした課題に直面した中で新たに注目が集まっているのが、「プレシジョン・メディシン」という考え方です。

プレシジョン・メディシンに欠かせない遺伝子検査

 がんは、遺伝子についた傷が原因で発生したがん細胞が異常増殖し、その進行とともにヒトを衰弱させていきます。これまでの研究の結果、特定の遺伝子の変異や過剰発現により、がん細胞の増殖が加速化することが分かってきました。もっともこの遺伝子の変異などは数多く報告され、患者さんによってどの遺伝子変異をもっているかも異なります。

 そして一部の遺伝子変異に対しては有効な薬も開発されているため、患者さんの遺伝子を調べて、それぞれに適した薬剤を選択するのがプレシジョン・メディシンです。これまでがんのプレシジョン・メディシンは肺がんが中心でしたが、大腸がんでも標的となる遺伝子が徐々に明確になり、対応する薬剤も登場してきています。

大腸がん患者さんの5割弱にRAS遺伝子の変異が

 近年、大腸がんで注目されている遺伝子の1つが、「RAS遺伝子」です。一般に細胞の表面には、上皮成長因子受容体(EGFR)というタンパク質があり、ここに上皮成長因子(EGF)が結合すると細胞増殖の信号を伝えて細胞が増殖します。このEGFRはがん細胞の表面に非常に多くあるため、がん細胞は増殖しやすくなっています。この仕組みによるがん細胞増殖を防ぐため、分子標的薬の一種としてEGFRに結合する抗EGFR抗体のセツキシマブ(商品名:アービタックス)、パニツムマブ(商品名:ベクティビックス)といった薬があります。分子標的薬にはもう一種、血管内皮増殖因子(VEGF)抗体薬のベバシズマブ(商品名:アバスチン)、ラムシルマブ、アフリベルセプト ベータ(ザルトラップ)があります。

 ところがこれらの薬を投与しても、効かない大腸がん患者さんもいます。そうした患者さんではEGFRとEGFの結合後に細胞増殖の信号を伝えるRAS遺伝子に変異があることがわかってきました。おおむね大腸がん患者さんの5割弱には、この変異があると報告されています。このため現在は大腸がんで薬物治療を受ける場合は、RAS遺伝子の変異の有無を調べる検査を行うことになっています。

遺伝子異常のある大腸がんは、抗がん剤の効果が得にくいケースも

 これ以外にも近年、細胞内の信号伝達と細胞増殖に関与するBRAF遺伝子の変異(BRAF陽性)、EGFRと同じように細胞増殖に関わる遺伝子タンパクHER2の過剰発現(HER2陽性)、細胞増殖の際に遺伝子情報を正確に伝える機能が低下しているマイクロサテライト不安定性(MSI-H)などという、遺伝子の異常を持つ大腸がんがあることも分かってきました。

抗がん剤の効果が得にくいケースとは
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プロフィール
吉野孝之(よしのたかゆき)

1995年 防衛医科大学校卒業
1997年 国立がん研究センター中央病院病理部
1999年 国立がん研究センター東病院消化器内科
2002年 静岡県立静岡がんセンター消化器内科
2005年 米国メイヨークリニック、バンダーピルト大学、ダナハーバーがん研究所に留学
2007年 国立がん研究センター東病院消化器内科
2010年 国立がん研究センター東病院消化管内科医長
2014年 現在 国立がん研究センター東病院 消化管内科 科長

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