原点は「患者さんから学べ。それも苦い経験から学べ」不破信和先生インタビュー

本記事は、株式会社法研が2012年3月24日に発行した「名医が語る最新・最良の治療 肺がん」より許諾を得て転載しています。
肺がんの治療に関する最新情報は、「肺がんを知る」をご参照ください。

陽子線に抗がん薬を加える治療で進行がんにも挑戦しています。治療の原点は「患者さんから学べ」。

不破信和(ふわ・のぶかず)先生

 実は、飛行機が好きでパイロットになりたかったんです」大学では工学部に在籍していた不破先生はパイロットの夢やみがたく、宮崎の航空大学校を受験。残念ながら三次試験で落ちてしまったのだそうです。結局、工学部は肌に合わなくて、高校生のときに好きだった生物への関心を生かそうと、3年遅れで医学部に進みました。
 医学部では、「体内から発生する1つの生物としての『がん』に関心がありました」。ほかの診療科ではがん以外の疾病も扱いますが、放射線科なら非常にシンプルに対象はがんだけ。そこで最初から放射線科を選択、がんの治療に取り組むことになったのです。
 23年在職した愛知県がんセンター中央病院では、放射線療法だけでなく、「十分な量の抗がん薬と放射線」による独自の治療法を発展させてきました。「20年ほど前、上咽頭(いんとう)がんの大学生の患者さんに放射線療法をして、そのがんは治ったのですが、念のためにCTを撮ったら肝臓に転移がみつかった。その方は2年後に亡くなったのですが、つらかったと同時に悔しかったですね」放射線療法に抗がん薬を加える治療に取り組むきっかけとなった、忘れられない患者さんでした。
 それから、頭頸部(とうけいぶ)がんや食道がん、肺がん、前立腺(ぜんりつせん)がんなどの治療に成果を上げてきましたが、進行肺がん、食道がんに対し、従来のX線照射では限界を感じるようになったと、不破先生はいいます。副院長というポストにありながら、民間初の陽子線治療施設のセンター長という現職に転じたのは、そこに陽子線設備が入るとの情報から。陽子線治療をみずから手がけたいためでした。
  「単一の医療機器だけでは限界があります。早期がんは治療できますが、進行がんでは転移がおこりますし、線量を上げれば障害が出やすくなります」。そこで、より精度の高い陽子線の照射法や、陽子線だけでなく、X線照射や抗がん薬を組み合わせた治療法など、陽子線によるがん治療の可能性を広める試みを続けています。「患者さんの数はまだ多くはありませんが、陽子線治療と抗がん薬を合わせた進行肺がんの治療の成果も出てきています」。
 現在、不破先生は毎週、本拠地の福島(郡山(こおりやま))をはじめ、愛知、三重、東京を回って治療や指導にあたっています。その移動時間はもっぱら読書。小説、ビジネス書、歴史書……分野は問いません。こうした、なんでも身につけてやろうという精神は、当然、治療にも現れます。愛知ではみずから化学療法も手がけ、消化器系がんの治療のために50歳の手習いで胃カメラも習ったとか。
  「放射線の医者には、コンピュータばかりを見て、線量分布に気をとられすぎている人が多いのです。画像だけ見ている医者はダメ。もっと患者さんを見て、患者さんと話をしてほしい」。最近の放射線科医に対して、不破先生はこんな注文をつけています。「線量分布なら医学物理士さんのほうがよほどいい仕事をしてくれる。医師でなければできないこと、医師としてしなければならないことを見直す必要がある」と力を込めます。
 飛行機好きの不破先生は、放射線療法を「プロペラ機なんですよ、X線は。陽子線はジェット機。重粒子線は超音速旅客機」と飛行機にたとえます。「プロペラ機では心もとない。超音速では、確かに速く遠くに行けますが、速すぎて疲れます。ジェット機は快適で汎用性も高い」とがんに対する陽子線の優位性を強調。がん治療への、今後の可能性を語ってやみません。その原点は「患者さんから学べ。それも苦い経験から学べ」。

不破信和(ふわ・のぶかず)先生

不破信和(ふわ・のぶかず)先生

兵庫県立粒子線医療センター 院長
1953年愛知県生まれ。三重大学医学部卒業。浜松医科大学放射線科、愛知県がんセンター(現愛知県がんセンター中央病院)放射線治療部、同部長、同副院長兼務を経て、2007年南東北がん陽子線治療センター開設に先駆け、着任。2008年10月同センターでの陽子線治療開始。2012年4月に現職の兵庫県立粒子線医療センター院長に就任。

体幹部定位放射線療法(SBRT)

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