安心して最期を迎えられる社会こそ成熟した社会「その人にとっての最善は何か」中川和彦先生インタビュー

本記事は、株式会社法研が2012年3月24日に発行した「名医が語る最新・最良の治療 肺がん」より許諾を得て転載しています。
肺がんの治療に関する最新情報は、「肺がんを知る」をご参照ください。

新薬の開発から看取りまで、患者さんの傍らに寄り添い、最善の診療を提供できる腫瘍内科医を育てていきたい。

中川和彦先生

 近畿大学医学部腫瘍内科は、日本でももっとも早い時期に、初代教授福岡正博(ふくおかまさひろ)先生のもと、開設されました。「日本全体のがんの薬物療法を考えられる医師、主たるがんを横断的に診(み)ることができる医師。腫瘍内科医らしい腫瘍内科医を育てる」。福岡先生とともに掲げた目標実現のために、今は、中川先生が陣頭指揮を執ります。「診療と教育を担う大学として、肺がんから始まり、今では消化器、乳腺、頭頸部(とうけいぶ)、骨軟部から原因不明のがんまで、幅広く同時に扱えるようになっています。そのなかで、新薬の開発から看取(みと)りまで、最善の診療を提供できる腫瘍内科医を力強く根づかせなくてはいけません」と中川先生は、自負と熱意をほとばしらせます。
 もともとは「患者さんのそばに仕えるファミリードクターになりたかった」中川先生が、がんの薬物療法、とくに肺がんとかかわるようになったのは、卒業して初めて受けもった患者さんがきっかけでした。

中川和彦先生が肺がんの薬物療法とかかわるようになったきっかけとは
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近畿大学医学部 腫瘍内科教授
1957年、熊本県生まれ。1983年熊本大学医学部卒業。国立がんセンター研究所、同中央病院内科を経て、90年大阪府立羽曳野病院第二内科、97年近畿大学医学部第四内科、2002年同大医学部腫瘍内科、03年同大医学部腫瘍内科助教授(当時)、07年より現職。がんの新薬、分子標的薬治療など臨床試験に積極的に取り組み、日本における質の高い腫瘍内科の確立をめざす。


体幹部定位放射線療法(SBRT)